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2008/07/13(日) 22:24:08
水野せな
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試合会場は、色々な学校の制服の人がたくさん集まっていた。
バイトの都合上、部活動に入ったことのない私にとって、なんだか別世界だった。
生徒以外にも、顧問や監督、保護者らしき人の姿も見える。
思ったよりも広く、テニスコートがたくさん並んでいる。
ポーンポーン、というボールの音が四方から響いてくる。
「あ、あれせなちゃんと同じ学校の子じゃない?」
おばさんが私の腕を引く。
セーラー服の女子生徒が、わらわらとかたまっている。
「日吉くーん!」
「すてきー!」
「頑張ってー日吉くーん!」
女の子は黄色い声をあげて、フェンスを囲んでいる。
「あら、もしかして誠二?」
おばさんは、口に手をあてる。
私はフェンスの中に目をやる。
コートに立っていたのは、やっぱり日吉くんだった。
試合前のラリーをしているらしく、軽くボールを打ち返している。
日吉くんが髪をかき上げるたびに、女の子がキャーキャーと騒ぐ。
でも日吉くんは、見向きもしない。
涼しい顔で、ボールを返していく。
日吉くんの、こういうところが好きなのだ。
何も動じない、冷静な横顔。
私には絶対できない、こと。
気付くと私も、フェンスから日吉くんを見つめていた。
いつもそうなのだ。
教室でだって、食堂で見かけた時だって、登校中だって。
本当は、家でも。
日吉くんから目が離せなくなってしまうのだ。
「あ…」
不意に日吉くんがこちらを向いた。
目が合った気がした。
日吉くんはすぐにそらしてしまったけれど、その一瞬は間違いなかった。
だって、私の胸はこんなにドキドキしているのだから。
キャーキャーと叫ぶ女の子の声が、やけに遠く感じる。
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ。
日吉くんが、私を見てくれた。
「あら、誠二今こっち見たわねぇ…バレちゃったかしら」
おばさんの言葉に、私はハッとして顔をあげる。
そうだ、今日はおばさんと来ているのだ。
私を見ていたんじゃない、おばさんを見ていたのだ。
「やっぱり、気付かれたらまずいですよね…」
「ま、来ちゃったものは仕方ないわよね」
おばさんは明るく笑う。
「ぽんぽん打ちながら、よく余所見できるわねぇ、あの子」
私もつられて笑う。
日吉くんはもう、こちらを見ることはなかった。
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2008/07/13(日) 22:13:16
水野せな
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「おばさんごめんなさい、寝坊しちゃって」
私は目をこすりながら、パジャマ姿のままでリビングに飛び出す。
「きゃっ」
と、真正面から人にぶつかってしまう。
日吉くんだ。
「あ、ご、ごめんなさい」
寝坊したから、もうとっくに家を出ていると思っていた。
私は恥ずかしくなって、パジャマの袖を引っ張ってうつむいた。
昨日もパジャマ姿を見られて、本当はすごく恥ずかしかった。
でもまだ、昨日は部屋が暗かったから。
今日は、昨日の天気予報がウソみたいに、太陽の光が部屋に注ぎ込んでいる。
「いってきます」
私には目もくれず、日吉くんはカバンをかついで出て行ってしまった。
「せなちゃん、寝坊じゃないわよ。どうしたの?」
日吉くんを送り出したおばさんが、目をまるくして私を見る。
「へ?」
私はリビングの時計を見る。
7時をさしている。
私は驚いて、部屋に戻る。
目覚まし時計は、1時間以上早く進んでいた。
「時計、壊れちゃった?」
「はい…ちょっと狂ってたみたいです」
私はパジャマで飛び出したことを後悔しながら、目覚まし時計をにらみつけた。
「でもよかったわ。着替えて朝ごはんにしましょ」
おばさんは楽しそうに言って笑った。
私もうなずき、部屋の扉を閉めた。
母親のいない私にとって、年の離れた女性と外を歩くのは、すごく新鮮だった。
日吉くんのおばさんは、試合を見るのが相当久しぶりらしく、とても張り切っていた。
「やっぱり日吉くん、うまいんですよね」
「うまいっていうのかしら。負けてないわねぇ、話聞いてると」
「すごい…」
「でもあっけらかんとしてるんだもの、感じ悪いわよ」
くすくすとおばさんは笑う。
だけど、自分の息子が誇らしいという気持ちは、伝わってきた。
私にもお母さんがいたら、こんな感じなんだろうか。
といっても、日吉くんのような自慢できるところは、私には全くないけど。
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2008/07/13(日) 22:03:50
日吉誠二
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風呂から上がり、ストレッチを終えた俺は、リビングに向かう。
台所に水をとりにいくためだ。
まだ6月の頭だというのに、今日は少し蒸し暑い。
雨の前兆なのだろうか。
両親はもう眠ったらしく、リビングの電気は消えている。
俺は台所の蛍光灯のスイッチを入れて、冷蔵庫を開ける。
と、後ろでカタンと音がする。
「あ…ごめんなさい」
振り返ると、水野がいた。
風呂上がりらしく、ふわふわしている髪が、少ししっとしていた。
「あの、電気消し忘れちゃったのかと思って」
水野はそう言ってうつむいた。
俺は返事をせず、水をコップに入れる。
「あ、じゃ、おやすみなさい」
水野はまた何か言いたげにしていたが、俺はあえて無視していた。
昼間の出来事が、頭をよぎっていたからだ。
そう、あいつは居候なのだから。
今だけガマンしていれば、いつかはいなくなる。
関わる必要などないのだ。
あいつが、父親に一生懸命話しかけたり、息も切れ切れに人の応援していることなんて、どうでもいいのだ。
何日かすれば、元の静かな生活に戻るのだから。
俺は冷蔵庫に水をしまい、蛍光灯を消した。
しんとした台所は、俺の心に平静をもたらしてくれる。
これでいいのだ。
俺は部屋に戻り、明日の支度をして就寝した。
壁の向こうの水野のことは、いっさい気にかけなかった。
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2008/07/10(木) 01:43:44
日吉誠二
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「あらまぁ、一緒に帰ってくるなんて珍しい」
母さんは、なぜかうれしそうに俺たちを迎えた。
夕食は残念ながらコロッケではなく、やや季節外れのシチューだった。
水野のおじさんが仕事が休みだったらしく、水野は嬉しそうにおじさんと話していた。
「あら、明日…雨じゃない」
野球中継の右半分に表示された、お天気マークを母さんが見つめる。
俺は制服の首元のボタンを開け、食卓につく。
「誠二、雨でも試合ってやるの?」
「どれぐらい降るかによる」
母さんは、なぜか困ったように腕組みをする。
「誠二くん、明日試合なのか」
おじさんが笑って席につく。
この人と一緒に食事をするのは、実は初めてだ。
仕事の時間が不定らしく、めったに顔を見せない。
「はい」
「いいなぁ、男の子。ひよさん、応援に行くのかい?」
おじさんが、父さんに振る。
だが父さんは、苦笑いするだけだ。
「俺が来るなって言ってるんです」
俺が言うと、おじさんは変な顔をした。
「困ったわねぇ、雨だなんて」
母さんはシチューをよそりながら、やたら天気を心配している。
洗濯物の都合でも悪いのだろうか。
いただきます、と手を合わせる。
5人もそろうと、食卓がにぎやかに感じる。
特に水野は、いつもは遠慮がちにおとなしく食事しているくせに、父親がいることが嬉しいのか、はしゃいで色々と話している。
母さんもそれを嬉しそうに聞いている。
俺ひとりが、蚊帳の外といった感じだ。
「ごちそうさま」
俺は席を立つ。
それはそれでいい。
両親なんてうざったいだけだし、水野がその相手をしてくれるなら、好きにできる。
「あ、日吉くん…」
水野に呼び止められて、俺はにらむように水野を見る。
「ご、ごめんね、私うるさくしちゃって」
「そんなことないわよねぇ」
俺が答えるより先に、母さんが言う。
「別に」
俺は食器をシンクへ持っていき、リビングを出た。
「あぁ、分かった」
俺は不思議なのだ。
あいつが、なんであんなに一生懸命なのかが。
父親がいるだけで、あそこまで一生懸命話をしている姿が不思議だったのだ。
「へんなやつ…」
俺は首をゴキゴキと鳴らし、早く就寝するために、浴室へ向かった。
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2008/07/10(木) 01:34:33
日吉誠二
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部員たちを振り切って帰宅するのは、なかなか大変だった。
今日は田村先輩は忙しかったらしく、あの人につかまらなかったのだけはラッキーだと思う。
勘付かれてしまったら、吐くまで帰してくれないだろう。
「日吉ー。まだ怒ってんのかよ」
俺がバッグをかつぎ直し、ホームに立っていると、佐藤がやってくる。
「和泉とかいうバカの言うこと信じるとは、思わなかったな」
佐藤の質問には答えず、イヤミを口走る。
相当イライラしているのが、自分でも分かる。
いや、それも当然のことだ。
もしもバレたら、学校でどんな噂をされるか考えただけでも恐ろしい。
和泉とかいう変な関西弁の男に、またつきまとわれたりするのだろう。
テニス部員たちは、興味津々に人を取り囲んで、質問の嵐になるに違いない。
今日は、その前触れみたいなものだったのだ。
「だって、見たって言うからさ。それに…」
「それに?」
「いやほら、水野って子。別に可愛いし、悪い子じゃなさそうだから」
「興味ないな」
俺は小さく言って、佐藤から目を離す。
電車が入ってきて、前髪が揺れる。
あいつのことを、そんな風に思ったことは一度もない。
同じ家で暮らすようになってからも、それは変わっていない。
「ふーん」
電車の音にかき消されそうな声で佐藤がつぶやく。
あまり信じていない声色だった。
「明日から試合なのに、よくそんなくだらないこと考えられるな」
おまえも、他の部員たちも。
佐藤はそれきり黙った。
二駅目で俺は降り、佐藤と別れた。
「あ…日吉くん」
どっと疲れて、駅から家までの道を歩いていると、後ろから声がする。
なんとなく嫌な予感がしたが、振り返るとやはりそこには水野がいた。
バイトの帰りらしく、いつもおろしている髪をひとつにまとめていた。
「部活、お疲れ様」
「本当に今日は疲れた…」
思わず愚痴ると、え?と水野は目をまるくした。
「日吉くんも、疲れるんだ」
「人のことなんだと思ってるんだ」
「ううん、別に」
水野は許可もなく俺の横に並び、一緒に歩き出した。
俺は黙って歩いていた。
疲れているせいか、きつい言葉を浴びせることも面倒になっていた。
「今日の夕飯、何かな」
「さぁ」
長く伸びるふたつの影を見て、無性にコロッケが食べたいと思った。
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2008/07/08(火) 18:55:11
日吉誠二
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「へぇ、珍しくマジメにやってるねんなぁ」
休憩時間にはいり、スポーツドリンクをベンチで飲んでいると、聞き覚えのない声がして、俺は顔を上げた。
眼鏡の男だ。
こんな関西弁の男、テニス部にいただろうか。
いや、違う。
よく見ると陸上部のユニフォームをつけている。
「知らないやつにとやかく言われる筋合いはない」
「知らないやつて…1年の時、同じクラスやったやん」
耳障りの悪い声に俺はイライラしながら、記憶をたどる。
「あれ、和泉じゃん。こんなところで何してるんだよ」
と、休憩に入った佐藤がやってくる。
和泉、聞いたことはあるかもしれない。
「いやー、日吉くんがマジメに練習してるから、驚いて見にきてん」
和泉が笑うと、佐藤まで笑う。
「確かに、それは珍しいな」
「おまえな…」
俺はタオルで首筋の汗を拭く。
「ところでさ」
和泉は続けて言う。
「水野ちゃんと、どうなってんの?」
水野、という言葉に俺はスポーツドリンクを吹きそうになる。
まさか、バレたのか?
「あれ、和泉も告白事件のこと知ってるんだ」
佐藤が口を出すと、和泉は大きく頷いた。
そういうことか…、と俺が安心していた矢先に、
「一緒に学校きてるところ、見ちゃってんなぁ、実は」
と、和泉が言う。
俺は表情を変えないようにしながら、静かにタオルをたたむ。
距離を置いて歩いているから、見られてはいないはずだ。
でまかせに喋っているだけかもしれない。
「日吉、振ったとかいってやっぱ付き合ってんの?」
バカな佐藤が声を上げ、周りの部員たちもこちらに目をやる。
人のことを、物珍しそうに見やがって。
「見間違いだろ、俺は知らないな」
「そんなら、中途半端に手かけへんとってほしいなぁ」
和泉を見ると、やつは案外マジメな顔をしていた。
眼鏡の奥の目が、本気だ。
「おっと、俺の見間違いやってんな、ごめんごめん」
俺が黙ると、和泉はまたおどけた調子に戻る。
読めない男だ。
「ほんなら、お邪魔しました」
和泉はヒラヒラと手を振って、コートから去っていった。
「あいつ、何しにきたんだ…」
俺が呟くと、
「日吉、マジで彼女いるの?」
と言われる。
「はぁ!?」
と言って振り返ると、テニス部員がみんな俺の周りに集まっていた。
俺は頭を抱えて、ため息をつくしかなかった。
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2008/07/08(火) 18:45:26
水野せな
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『おやすみ』
低く呟いた声が、ずっと私の頭を離れない。
私にとっては、すごいことなんだ。
日吉くんが私の部屋にきて、しゃべって、おやすみって言うなんて。
結局、始終バカにされていただけではあるけれど。
私にとっては、天地がひっくり返るほどの大事件なのだ。
「水野!」
「あ、は、はいっ!」
突然大声で呼ばれ、私は返事をする。
正面には、呆れ顔の店長。
バイト中に、ぼんやりしてしまっていたようだ。
「テーブルの片付け、頼んだよ」
「ご、ごめんなさいっ」
私は台拭きを手にとり、慌てて店内に飛び出す。
「おい!それ、雑巾!」
が、再度店長に呼び止められ、自分の手の中の灰色の物体に気付く。
ごめんなさい!ともう一度謝り、私は慌てて雑巾を元の位置に戻す。
「水野、今日は絶好調だな」
「早川くん、そんな言い方しなくても」
厨房から顔を出してきた早川くんが、ニタァと笑う。
親切でいい人なのだけど、こうやって時々からかわれてしまう。
そもそも、私がいつもぼんやりしているからいけないのだけど。
「ん、今日はポジティブだな」
「え?そうかな?」
「いつもなら、ごめんなさい、だろ」
私の声マネなのか、やけに高い声で早川くんが言う。
私はきれいな台拭きを手にとり、ツンとして早川くんに背を向ける。
「日吉と、いいことでもあった?」
「そ、そんなんじゃないよ!」
思わず声を大きくしましまう。
私は真っ赤になって、厨房を飛び出した。
結局また、浮かれているのだ。
忘れた方がいい…なんて思いながら、私は日吉くんから離れられない。
ほんの少しのつながりが、私と日吉くんを繋ぎとめてくれている気がして。
食器を片付けて厨房に戻ると、早川くんはまだニヤニヤしていた。
私は見ないフリをして、食器洗い機をまわす。
明日は、日吉くんの試合だ。
私は自分のことのようにドキドキしていた。
「って、私が緊張してどうするんだろ…」
昨日、日吉くんにそう言われたばかりなのに。
日吉くんのことだから、きっと余裕でこなしてくれるんだろう。
それでもやっぱり、私の胸は高鳴るばかりだった。
店長に呼ばれ、私は慌てて厨房を飛び出した。
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2008/07/08(火) 18:36:20
水野せな
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コンコン、とドアがノックされる。
夕食後、のんびり雑誌を読んでいた私は、顔を上げた。
「はい」
おばさんかな?と思いつつ返事をしたが、立っていたのは日吉くんだった。
私は慌てて立ち上がる。
「風呂」
単語だけで言って、日吉くんは首のタオルで髪をなでた。
私はホッとして、ありがとう、と言った。
日吉くんはすぐ出て行くかと思ったら、意外にも部屋に入ってきた。
私はどうしていいか分からなくて、どぎまぎするしかない。
日吉くんは私の部屋をきょろきょろと見て、
「こんなの読んでるのか」
と、机に広げてあった雑誌を見た。
有紀ちゃんから借りたものだった。
「う、うん…」
「もうちょっと勉強すれば?」
日吉くんは表情を変えずに言う。
「そ、そうだね…日吉くんは、すごく勉強してるんでしょ」
私は雑誌を閉じて、端に寄せる。
日吉くんは、首を左右に振った。
「あれぐらいのテスト、勉強しなくても余裕だから」
私はきょとんとして、日吉くんを見た。
余裕といっても、いつも一番なのだ。
掲示板に結果が張り出されると、真っ先に見に行っていたのだから、間違いない。
「日吉くんて、すごいね…」
「おまえがバカなだけじゃないのか」
「そ、そうかも…」
私は完全にしょげきって、うなだれる。
日吉くんはまたタオルで髪をなで、部屋のドアを引いた。
一体何をしに来たのだろう。
私と口をきくのも嫌だって顔を、いつもはしてるのに。
単なる気まぐれだろうか。
じゃあ、とドアノブに手をかける日吉くんの後ろ姿を見て、私は小さく息を吐いた。
それと同時に、押し込めていた欲望が湧き上がってきた。
せっかく日吉くんから、話しかけてくれたんだ。
「あの、明後日の…」
「何?」
日吉くんが振り返る。
突き刺すような目に、負けそうになる。
けど、今言わなければもう言う機会はない。
「明後日、試合、頑張って…ね!」
途切れ途切れに言うと、日吉くんは少しきょとんとしていた。
「別に頑張らなくても、勝てるから」
息切れしそうな勢いの私とは裏腹に、冷めた声色で日吉くんは言う。
「なんでおまえが、そんなに必死なんだか」
日吉くんはちょっと笑ったような声で言って、部屋を出ていった。
「おやすみ」
その時、小さく呟いた日吉くんの声を、私は聞き逃さなかった。
パタン、とドアが静かに閉まった。
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2008/07/08(火) 18:24:32
水野せな
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やっぱり日吉くんは、怒っているみたいだった。
帰宅するんり、お弁当箱だけ置いてさっさと部屋に引っ込んでしまった。
「気にしちゃダメよ、いつもああなんだから」
おばさんはそう言うけど、私の胸はチクリと痛む。
この家で居候することになった時、驚いて戸惑った反面、期待がなかったわけではない。
振られたけれど、少しだけでも日吉くんといるチャンスを、神様がくれた。
そんな思いでいっぱいで、隣の部屋で過ごす日吉くんを想った。
だから、少しでも気に入られるようにしているつもりだった。
だけど私の行動は、いつも日吉くんを不機嫌にさせているみたいだった。
ここにいることによって、余計に日吉くんと私の距離は遠ざかっていると想った。
もう、早く忘れた方がいいのかもしれない。
「そういえば、明日から週末だけど、せなちゃん予定は?」
見てもいないテレビから目を離し、私は顔を上げた。
「明日はバイトですが、明後日は特にないです」
「あら、じゃあおじさんと入れ違いなのね」
お父さんは、明日が休みで明後日が仕事らしかった。
「夜には帰ってきますから」
「そんなこと言ったって、朝早いからって、おじさん早く寝ちゃうじゃない」
おばさんが眉間にシワを寄せる。
プリプリしている時の表情が、少しだけ日吉くんに似ている。
「仕方ないです、お父さん、忙しいから」
私が言うと、おばさんは感動したようにうなずく。
「せなちゃんは本当に偉いわねぇ…」
「いえ、そんなことは…」
そうだ!と、おばさんは手を叩く。
「日曜日、誠二の試合があるのよ。一緒に見に行きましょうよ」
えっ、と私は小さく声を上げる。
脳裏に、部活動で汗を流す日吉くんの姿が浮かぶ。
「明日から地区大会らしいのよね。来るなって言われてるけど…」
「あはは、日吉くんらしい」
「でも、せなちゃんとならいいに決まってるわ」
「ええっ」
私は焦っておばさんを見るが、おばさんは私の方など見向きもしない。
すっかり妄想モードに入っている。
「同じ学校の生徒なら、違和感ないものね♪」
お弁当作らなくちゃ、とおばさんは張り切っている。
口を挟めなくて、私は黙った。
きっと日吉くんは、嫌がるだろう。
いや、私のことなんか気付かないかもしれない。
日吉くんにとって、私なんてそれくらいの存在なのだから。
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2008/07/08(火) 14:23:24
日吉誠二
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明日から六月だ。
梅雨が近づいてきているのか、予報では言っていなかったはずの雨雲が、放課後になって空を覆い始めた。
「天気悪いね」
「ええ」
マネージャーの田村先輩に声をかけられ、俺は頷く。
「降り出したら、練習中止にするってさ」
「こういう日こそ、落ち着いて練習できるのに」
俺が愚痴をこぼすと、先輩は笑った。
「日吉のところ、いつもギャラリーすごいもんね」
「迷惑なだけです」
「ヒネくれちゃって」
俺はそれ以上ものを言うのをあきらめる。
この先輩には、何を言ってもムダなのだ。
その分、文句のつけようのないくらいキッチリと仕事をこなしてくれる。
今日も、後輩にきちんとコート整備をさせていたのは、田村先輩だ。
入部してまだ2ヶ月ほどの後輩に、ちゃんと準備させるのは骨がいる仕事だ。
「あれ…日吉、彼女でもできた?」
「は?」
アップを始めようと、靴紐を結んでいると、田村先輩が唐突に言う。
「ピンクのお弁当箱」
田村先輩の方に視線をやり、俺はハッとした。
ラケットを出したテニスバッグから、桃色の包みの弁当がチラリと見えている。
俺は慌てて弁当を奥に突っ込み、ファスナーを閉めた。
「母親が、家族の弁当と間違えたんです」
なるべく冷静を装いながら、俺は言う。
「ふうん…むさい日吉道場の誰が、ピンクのお弁当使ってるのかな?」
「知りませんよ、そんなの」
あはは、と田村先輩が笑う。
「まぁ、頑張って〜」
田村先輩はヒラヒラと手を振りながら、行ってしまう。
ぎゅっと靴紐を結び、俺はため息をついた。
「何を頑張るんだ…」
ラケットを握り、精神統一する。
来週から地区大会なのだ。
余計なことは考えたくない。
俺はコートに出て、曇り空を仰いだ。
「ごめんね〜せなちゃん」
帰宅すると、母さんが水野に謝っているところだった。
「ただいま帰りました」
俺は空の弁当をテーブルに置き、そのままリビングを通り過ぎようとする。
「誠二!なんで交換してあげなかったの」
「気付かなかったんですよ」
「そんなわけないでしょ、もう」
母さんは腕組みする。
そもそも間違えたのは、母さんなのだ。
こっちはそれで、どれほど面倒を被ったことか。
昼休みの件、田村先輩の件、昼食が足りなかった件…。
水野はうつむいていて、俺を見なかった。
俺は目をそらし、リビングを去った。
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