日吉誠二水野せな*

ほしをさがして。

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交換日記 nikkijam

2008/07/13(日) 22:24:08 水野せな
タイトル 031



試合会場は、色々な学校の制服の人がたくさん集まっていた。
バイトの都合上、部活動に入ったことのない私にとって、なんだか別世界だった。
生徒以外にも、顧問や監督、保護者らしき人の姿も見える。
思ったよりも広く、テニスコートがたくさん並んでいる。
ポーンポーン、というボールの音が四方から響いてくる。


「あ、あれせなちゃんと同じ学校の子じゃない?」
おばさんが私の腕を引く。
セーラー服の女子生徒が、わらわらとかたまっている。
「日吉くーん!」
「すてきー!」
「頑張ってー日吉くーん!」
女の子は黄色い声をあげて、フェンスを囲んでいる。
「あら、もしかして誠二?」
おばさんは、口に手をあてる。
私はフェンスの中に目をやる。
コートに立っていたのは、やっぱり日吉くんだった。
試合前のラリーをしているらしく、軽くボールを打ち返している。
日吉くんが髪をかき上げるたびに、女の子がキャーキャーと騒ぐ。
でも日吉くんは、見向きもしない。
涼しい顔で、ボールを返していく。


日吉くんの、こういうところが好きなのだ。
何も動じない、冷静な横顔。
私には絶対できない、こと。


気付くと私も、フェンスから日吉くんを見つめていた。
いつもそうなのだ。
教室でだって、食堂で見かけた時だって、登校中だって。
本当は、家でも。
日吉くんから目が離せなくなってしまうのだ。


「あ…」
不意に日吉くんがこちらを向いた。
目が合った気がした。
日吉くんはすぐにそらしてしまったけれど、その一瞬は間違いなかった。
だって、私の胸はこんなにドキドキしているのだから。


キャーキャーと叫ぶ女の子の声が、やけに遠く感じる。
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ。
日吉くんが、私を見てくれた。


「あら、誠二今こっち見たわねぇ…バレちゃったかしら」
おばさんの言葉に、私はハッとして顔をあげる。
そうだ、今日はおばさんと来ているのだ。
私を見ていたんじゃない、おばさんを見ていたのだ。
「やっぱり、気付かれたらまずいですよね…」
「ま、来ちゃったものは仕方ないわよね」
おばさんは明るく笑う。
「ぽんぽん打ちながら、よく余所見できるわねぇ、あの子」
私もつられて笑う。
日吉くんはもう、こちらを見ることはなかった。



2008/07/13(日) 22:13:16 水野せな
タイトル 030



「おばさんごめんなさい、寝坊しちゃって」
私は目をこすりながら、パジャマ姿のままでリビングに飛び出す。
「きゃっ」
と、真正面から人にぶつかってしまう。
日吉くんだ。
「あ、ご、ごめんなさい」
寝坊したから、もうとっくに家を出ていると思っていた。
私は恥ずかしくなって、パジャマの袖を引っ張ってうつむいた。
昨日もパジャマ姿を見られて、本当はすごく恥ずかしかった。
でもまだ、昨日は部屋が暗かったから。
今日は、昨日の天気予報がウソみたいに、太陽の光が部屋に注ぎ込んでいる。
「いってきます」
私には目もくれず、日吉くんはカバンをかついで出て行ってしまった。


「せなちゃん、寝坊じゃないわよ。どうしたの?」
日吉くんを送り出したおばさんが、目をまるくして私を見る。
「へ?」
私はリビングの時計を見る。
7時をさしている。
私は驚いて、部屋に戻る。
目覚まし時計は、1時間以上早く進んでいた。
「時計、壊れちゃった?」
「はい…ちょっと狂ってたみたいです」
私はパジャマで飛び出したことを後悔しながら、目覚まし時計をにらみつけた。
「でもよかったわ。着替えて朝ごはんにしましょ」
おばさんは楽しそうに言って笑った。
私もうなずき、部屋の扉を閉めた。


母親のいない私にとって、年の離れた女性と外を歩くのは、すごく新鮮だった。
日吉くんのおばさんは、試合を見るのが相当久しぶりらしく、とても張り切っていた。
「やっぱり日吉くん、うまいんですよね」
「うまいっていうのかしら。負けてないわねぇ、話聞いてると」
「すごい…」
「でもあっけらかんとしてるんだもの、感じ悪いわよ」
くすくすとおばさんは笑う。
だけど、自分の息子が誇らしいという気持ちは、伝わってきた。
私にもお母さんがいたら、こんな感じなんだろうか。
といっても、日吉くんのような自慢できるところは、私には全くないけど。


2008/07/13(日) 22:03:50 日吉誠二
タイトル 029



風呂から上がり、ストレッチを終えた俺は、リビングに向かう。
台所に水をとりにいくためだ。
まだ6月の頭だというのに、今日は少し蒸し暑い。
雨の前兆なのだろうか。
両親はもう眠ったらしく、リビングの電気は消えている。
俺は台所の蛍光灯のスイッチを入れて、冷蔵庫を開ける。


と、後ろでカタンと音がする。
「あ…ごめんなさい」
振り返ると、水野がいた。
風呂上がりらしく、ふわふわしている髪が、少ししっとしていた。
「あの、電気消し忘れちゃったのかと思って」
水野はそう言ってうつむいた。
俺は返事をせず、水をコップに入れる。
「あ、じゃ、おやすみなさい」
水野はまた何か言いたげにしていたが、俺はあえて無視していた。
昼間の出来事が、頭をよぎっていたからだ。
そう、あいつは居候なのだから。
今だけガマンしていれば、いつかはいなくなる。
関わる必要などないのだ。
あいつが、父親に一生懸命話しかけたり、息も切れ切れに人の応援していることなんて、どうでもいいのだ。
何日かすれば、元の静かな生活に戻るのだから。


俺は冷蔵庫に水をしまい、蛍光灯を消した。
しんとした台所は、俺の心に平静をもたらしてくれる。
これでいいのだ。


俺は部屋に戻り、明日の支度をして就寝した。
壁の向こうの水野のことは、いっさい気にかけなかった。


2008/07/10(木) 01:43:44 日吉誠二
タイトル 028



「あらまぁ、一緒に帰ってくるなんて珍しい」
母さんは、なぜかうれしそうに俺たちを迎えた。
夕食は残念ながらコロッケではなく、やや季節外れのシチューだった。
水野のおじさんが仕事が休みだったらしく、水野は嬉しそうにおじさんと話していた。


「あら、明日…雨じゃない」
野球中継の右半分に表示された、お天気マークを母さんが見つめる。
俺は制服の首元のボタンを開け、食卓につく。
「誠二、雨でも試合ってやるの?」
「どれぐらい降るかによる」
母さんは、なぜか困ったように腕組みをする。
「誠二くん、明日試合なのか」
おじさんが笑って席につく。
この人と一緒に食事をするのは、実は初めてだ。
仕事の時間が不定らしく、めったに顔を見せない。
「はい」
「いいなぁ、男の子。ひよさん、応援に行くのかい?」
おじさんが、父さんに振る。
だが父さんは、苦笑いするだけだ。
「俺が来るなって言ってるんです」
俺が言うと、おじさんは変な顔をした。
「困ったわねぇ、雨だなんて」
母さんはシチューをよそりながら、やたら天気を心配している。
洗濯物の都合でも悪いのだろうか。


いただきます、と手を合わせる。
5人もそろうと、食卓がにぎやかに感じる。
特に水野は、いつもは遠慮がちにおとなしく食事しているくせに、父親がいることが嬉しいのか、はしゃいで色々と話している。
母さんもそれを嬉しそうに聞いている。
俺ひとりが、蚊帳の外といった感じだ。
「ごちそうさま」
俺は席を立つ。
それはそれでいい。
両親なんてうざったいだけだし、水野がその相手をしてくれるなら、好きにできる。
「あ、日吉くん…」
水野に呼び止められて、俺はにらむように水野を見る。
「ご、ごめんね、私うるさくしちゃって」
「そんなことないわよねぇ」
俺が答えるより先に、母さんが言う。
「別に」
俺は食器をシンクへ持っていき、リビングを出た。


「あぁ、分かった」
俺は不思議なのだ。
あいつが、なんであんなに一生懸命なのかが。
父親がいるだけで、あそこまで一生懸命話をしている姿が不思議だったのだ。
「へんなやつ…」
俺は首をゴキゴキと鳴らし、早く就寝するために、浴室へ向かった。


2008/07/10(木) 01:34:33 日吉誠二
タイトル 027



部員たちを振り切って帰宅するのは、なかなか大変だった。
今日は田村先輩は忙しかったらしく、あの人につかまらなかったのだけはラッキーだと思う。
勘付かれてしまったら、吐くまで帰してくれないだろう。


「日吉ー。まだ怒ってんのかよ」
俺がバッグをかつぎ直し、ホームに立っていると、佐藤がやってくる。
「和泉とかいうバカの言うこと信じるとは、思わなかったな」
佐藤の質問には答えず、イヤミを口走る。
相当イライラしているのが、自分でも分かる。
いや、それも当然のことだ。
もしもバレたら、学校でどんな噂をされるか考えただけでも恐ろしい。
和泉とかいう変な関西弁の男に、またつきまとわれたりするのだろう。
テニス部員たちは、興味津々に人を取り囲んで、質問の嵐になるに違いない。
今日は、その前触れみたいなものだったのだ。
「だって、見たって言うからさ。それに…」
「それに?」
「いやほら、水野って子。別に可愛いし、悪い子じゃなさそうだから」
「興味ないな」
俺は小さく言って、佐藤から目を離す。
電車が入ってきて、前髪が揺れる。
あいつのことを、そんな風に思ったことは一度もない。
同じ家で暮らすようになってからも、それは変わっていない。
「ふーん」
電車の音にかき消されそうな声で佐藤がつぶやく。
あまり信じていない声色だった。
「明日から試合なのに、よくそんなくだらないこと考えられるな」
おまえも、他の部員たちも。
佐藤はそれきり黙った。
二駅目で俺は降り、佐藤と別れた。


「あ…日吉くん」
どっと疲れて、駅から家までの道を歩いていると、後ろから声がする。
なんとなく嫌な予感がしたが、振り返るとやはりそこには水野がいた。
バイトの帰りらしく、いつもおろしている髪をひとつにまとめていた。
「部活、お疲れ様」
「本当に今日は疲れた…」
思わず愚痴ると、え?と水野は目をまるくした。
「日吉くんも、疲れるんだ」
「人のことなんだと思ってるんだ」
「ううん、別に」
水野は許可もなく俺の横に並び、一緒に歩き出した。
俺は黙って歩いていた。
疲れているせいか、きつい言葉を浴びせることも面倒になっていた。


「今日の夕飯、何かな」
「さぁ」
長く伸びるふたつの影を見て、無性にコロッケが食べたいと思った。


2008/07/08(火) 18:55:11 日吉誠二
タイトル 026



「へぇ、珍しくマジメにやってるねんなぁ」


休憩時間にはいり、スポーツドリンクをベンチで飲んでいると、聞き覚えのない声がして、俺は顔を上げた。
眼鏡の男だ。
こんな関西弁の男、テニス部にいただろうか。
いや、違う。
よく見ると陸上部のユニフォームをつけている。
「知らないやつにとやかく言われる筋合いはない」
「知らないやつて…1年の時、同じクラスやったやん」
耳障りの悪い声に俺はイライラしながら、記憶をたどる。
「あれ、和泉じゃん。こんなところで何してるんだよ」
と、休憩に入った佐藤がやってくる。
和泉、聞いたことはあるかもしれない。
「いやー、日吉くんがマジメに練習してるから、驚いて見にきてん」
和泉が笑うと、佐藤まで笑う。
「確かに、それは珍しいな」
「おまえな…」
俺はタオルで首筋の汗を拭く。


「ところでさ」
和泉は続けて言う。
「水野ちゃんと、どうなってんの?」
水野、という言葉に俺はスポーツドリンクを吹きそうになる。
まさか、バレたのか?
「あれ、和泉も告白事件のこと知ってるんだ」
佐藤が口を出すと、和泉は大きく頷いた。
そういうことか…、と俺が安心していた矢先に、
「一緒に学校きてるところ、見ちゃってんなぁ、実は」
と、和泉が言う。
俺は表情を変えないようにしながら、静かにタオルをたたむ。
距離を置いて歩いているから、見られてはいないはずだ。
でまかせに喋っているだけかもしれない。
「日吉、振ったとかいってやっぱ付き合ってんの?」
バカな佐藤が声を上げ、周りの部員たちもこちらに目をやる。
人のことを、物珍しそうに見やがって。
「見間違いだろ、俺は知らないな」
「そんなら、中途半端に手かけへんとってほしいなぁ」
和泉を見ると、やつは案外マジメな顔をしていた。
眼鏡の奥の目が、本気だ。


「おっと、俺の見間違いやってんな、ごめんごめん」
俺が黙ると、和泉はまたおどけた調子に戻る。
読めない男だ。
「ほんなら、お邪魔しました」
和泉はヒラヒラと手を振って、コートから去っていった。
「あいつ、何しにきたんだ…」
俺が呟くと、
「日吉、マジで彼女いるの?」
と言われる。
「はぁ!?」
と言って振り返ると、テニス部員がみんな俺の周りに集まっていた。
俺は頭を抱えて、ため息をつくしかなかった。


2008/07/08(火) 18:45:26 水野せな
タイトル 025



『おやすみ』


低く呟いた声が、ずっと私の頭を離れない。
私にとっては、すごいことなんだ。
日吉くんが私の部屋にきて、しゃべって、おやすみって言うなんて。
結局、始終バカにされていただけではあるけれど。
私にとっては、天地がひっくり返るほどの大事件なのだ。


「水野!」
「あ、は、はいっ!」
突然大声で呼ばれ、私は返事をする。
正面には、呆れ顔の店長。
バイト中に、ぼんやりしてしまっていたようだ。
「テーブルの片付け、頼んだよ」
「ご、ごめんなさいっ」
私は台拭きを手にとり、慌てて店内に飛び出す。
「おい!それ、雑巾!」
が、再度店長に呼び止められ、自分の手の中の灰色の物体に気付く。
ごめんなさい!ともう一度謝り、私は慌てて雑巾を元の位置に戻す。


「水野、今日は絶好調だな」
「早川くん、そんな言い方しなくても」
厨房から顔を出してきた早川くんが、ニタァと笑う。
親切でいい人なのだけど、こうやって時々からかわれてしまう。
そもそも、私がいつもぼんやりしているからいけないのだけど。
「ん、今日はポジティブだな」
「え?そうかな?」
「いつもなら、ごめんなさい、だろ」
私の声マネなのか、やけに高い声で早川くんが言う。
私はきれいな台拭きを手にとり、ツンとして早川くんに背を向ける。
「日吉と、いいことでもあった?」
「そ、そんなんじゃないよ!」
思わず声を大きくしましまう。
私は真っ赤になって、厨房を飛び出した。


結局また、浮かれているのだ。
忘れた方がいい…なんて思いながら、私は日吉くんから離れられない。
ほんの少しのつながりが、私と日吉くんを繋ぎとめてくれている気がして。
食器を片付けて厨房に戻ると、早川くんはまだニヤニヤしていた。
私は見ないフリをして、食器洗い機をまわす。


明日は、日吉くんの試合だ。
私は自分のことのようにドキドキしていた。
「って、私が緊張してどうするんだろ…」
昨日、日吉くんにそう言われたばかりなのに。
日吉くんのことだから、きっと余裕でこなしてくれるんだろう。
それでもやっぱり、私の胸は高鳴るばかりだった。
店長に呼ばれ、私は慌てて厨房を飛び出した。


2008/07/08(火) 18:36:20 水野せな
タイトル 024



コンコン、とドアがノックされる。
夕食後、のんびり雑誌を読んでいた私は、顔を上げた。
「はい」
おばさんかな?と思いつつ返事をしたが、立っていたのは日吉くんだった。
私は慌てて立ち上がる。
「風呂」
単語だけで言って、日吉くんは首のタオルで髪をなでた。
私はホッとして、ありがとう、と言った。


日吉くんはすぐ出て行くかと思ったら、意外にも部屋に入ってきた。
私はどうしていいか分からなくて、どぎまぎするしかない。
日吉くんは私の部屋をきょろきょろと見て、
「こんなの読んでるのか」
と、机に広げてあった雑誌を見た。
有紀ちゃんから借りたものだった。
「う、うん…」
「もうちょっと勉強すれば?」
日吉くんは表情を変えずに言う。
「そ、そうだね…日吉くんは、すごく勉強してるんでしょ」
私は雑誌を閉じて、端に寄せる。
日吉くんは、首を左右に振った。
「あれぐらいのテスト、勉強しなくても余裕だから」
私はきょとんとして、日吉くんを見た。
余裕といっても、いつも一番なのだ。
掲示板に結果が張り出されると、真っ先に見に行っていたのだから、間違いない。
「日吉くんて、すごいね…」
「おまえがバカなだけじゃないのか」
「そ、そうかも…」
私は完全にしょげきって、うなだれる。
日吉くんはまたタオルで髪をなで、部屋のドアを引いた。
一体何をしに来たのだろう。
私と口をきくのも嫌だって顔を、いつもはしてるのに。
単なる気まぐれだろうか。


じゃあ、とドアノブに手をかける日吉くんの後ろ姿を見て、私は小さく息を吐いた。
それと同時に、押し込めていた欲望が湧き上がってきた。
せっかく日吉くんから、話しかけてくれたんだ。
「あの、明後日の…」
「何?」
日吉くんが振り返る。
突き刺すような目に、負けそうになる。
けど、今言わなければもう言う機会はない。
「明後日、試合、頑張って…ね!」
途切れ途切れに言うと、日吉くんは少しきょとんとしていた。
「別に頑張らなくても、勝てるから」
息切れしそうな勢いの私とは裏腹に、冷めた声色で日吉くんは言う。
「なんでおまえが、そんなに必死なんだか」
日吉くんはちょっと笑ったような声で言って、部屋を出ていった。


「おやすみ」


その時、小さく呟いた日吉くんの声を、私は聞き逃さなかった。
パタン、とドアが静かに閉まった。


2008/07/08(火) 18:24:32 水野せな
タイトル 023



やっぱり日吉くんは、怒っているみたいだった。
帰宅するんり、お弁当箱だけ置いてさっさと部屋に引っ込んでしまった。
「気にしちゃダメよ、いつもああなんだから」
おばさんはそう言うけど、私の胸はチクリと痛む。


この家で居候することになった時、驚いて戸惑った反面、期待がなかったわけではない。
振られたけれど、少しだけでも日吉くんといるチャンスを、神様がくれた。
そんな思いでいっぱいで、隣の部屋で過ごす日吉くんを想った。
だから、少しでも気に入られるようにしているつもりだった。
だけど私の行動は、いつも日吉くんを不機嫌にさせているみたいだった。
ここにいることによって、余計に日吉くんと私の距離は遠ざかっていると想った。


もう、早く忘れた方がいいのかもしれない。


「そういえば、明日から週末だけど、せなちゃん予定は?」
見てもいないテレビから目を離し、私は顔を上げた。
「明日はバイトですが、明後日は特にないです」
「あら、じゃあおじさんと入れ違いなのね」
お父さんは、明日が休みで明後日が仕事らしかった。
「夜には帰ってきますから」
「そんなこと言ったって、朝早いからって、おじさん早く寝ちゃうじゃない」
おばさんが眉間にシワを寄せる。
プリプリしている時の表情が、少しだけ日吉くんに似ている。
「仕方ないです、お父さん、忙しいから」
私が言うと、おばさんは感動したようにうなずく。
「せなちゃんは本当に偉いわねぇ…」
「いえ、そんなことは…」
そうだ!と、おばさんは手を叩く。
「日曜日、誠二の試合があるのよ。一緒に見に行きましょうよ」
えっ、と私は小さく声を上げる。
脳裏に、部活動で汗を流す日吉くんの姿が浮かぶ。
「明日から地区大会らしいのよね。来るなって言われてるけど…」
「あはは、日吉くんらしい」
「でも、せなちゃんとならいいに決まってるわ」
「ええっ」
私は焦っておばさんを見るが、おばさんは私の方など見向きもしない。
すっかり妄想モードに入っている。
「同じ学校の生徒なら、違和感ないものね♪」
お弁当作らなくちゃ、とおばさんは張り切っている。
口を挟めなくて、私は黙った。


きっと日吉くんは、嫌がるだろう。
いや、私のことなんか気付かないかもしれない。
日吉くんにとって、私なんてそれくらいの存在なのだから。


2008/07/08(火) 14:23:24 日吉誠二
タイトル 022



明日から六月だ。
梅雨が近づいてきているのか、予報では言っていなかったはずの雨雲が、放課後になって空を覆い始めた。
「天気悪いね」
「ええ」
マネージャーの田村先輩に声をかけられ、俺は頷く。
「降り出したら、練習中止にするってさ」
「こういう日こそ、落ち着いて練習できるのに」
俺が愚痴をこぼすと、先輩は笑った。
「日吉のところ、いつもギャラリーすごいもんね」
「迷惑なだけです」
「ヒネくれちゃって」
俺はそれ以上ものを言うのをあきらめる。
この先輩には、何を言ってもムダなのだ。
その分、文句のつけようのないくらいキッチリと仕事をこなしてくれる。
今日も、後輩にきちんとコート整備をさせていたのは、田村先輩だ。
入部してまだ2ヶ月ほどの後輩に、ちゃんと準備させるのは骨がいる仕事だ。


「あれ…日吉、彼女でもできた?」
「は?」
アップを始めようと、靴紐を結んでいると、田村先輩が唐突に言う。
「ピンクのお弁当箱」
田村先輩の方に視線をやり、俺はハッとした。
ラケットを出したテニスバッグから、桃色の包みの弁当がチラリと見えている。
俺は慌てて弁当を奥に突っ込み、ファスナーを閉めた。
「母親が、家族の弁当と間違えたんです」
なるべく冷静を装いながら、俺は言う。
「ふうん…むさい日吉道場の誰が、ピンクのお弁当使ってるのかな?」
「知りませんよ、そんなの」
あはは、と田村先輩が笑う。
「まぁ、頑張って〜」
田村先輩はヒラヒラと手を振りながら、行ってしまう。
ぎゅっと靴紐を結び、俺はため息をついた。
「何を頑張るんだ…」
ラケットを握り、精神統一する。
来週から地区大会なのだ。
余計なことは考えたくない。
俺はコートに出て、曇り空を仰いだ。


「ごめんね〜せなちゃん」
帰宅すると、母さんが水野に謝っているところだった。
「ただいま帰りました」
俺は空の弁当をテーブルに置き、そのままリビングを通り過ぎようとする。
「誠二!なんで交換してあげなかったの」
「気付かなかったんですよ」
「そんなわけないでしょ、もう」
母さんは腕組みする。
そもそも間違えたのは、母さんなのだ。
こっちはそれで、どれほど面倒を被ったことか。
昼休みの件、田村先輩の件、昼食が足りなかった件…。
水野はうつむいていて、俺を見なかった。
俺は目をそらし、リビングを去った。


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