ジルリドルフランチェスカジョゼ 

たそがれの子どもたち

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交換日記 nikkijam

2008/10/11(土) ジョゼ
タイトル かくされたラピスラズリ 4 今日の気分おしまい



 どうしてここにいてはいけないのだろう? ジョゼはアレクシが、「社交界」のご婦人がたにそうするように、うやうやしくジョゼにおじぎするたびに、へんてこな、または仰々しい贈りものをされるたびに、そう考えずにはいられません。子どものままでいたいわけでも、おとなになりたくないわけでもない。ただ、私はここにいたいだけなのに。どうして「明るくて楽しい場所」が、いまいる場所よりしあわせだと言えるのだろう?
 こんなことを考えているから、私はいつまでも中途半端なままなのかしら。そう思ってジョゼはふいに涙ぐみました。小さなころに一度読んだきり、本棚の奥の奥に隠して忘れようとつとめている物語のことを思い出したのです。何ものにもなりたくない、と自由気ままにすごしているうちに、じぶんの名前も帰る場所も、すべてを忘れて、うしなってしまう男のお話でした。

 いずれ何かにならなくてはならない。このままではいられないのだと、そう思いつめるジョゼの顔は、洋服だんすの内側にかけられた楕円の鏡に映りこんでいました。このままでいたいけれども、うろうろと留まっているうちに何もなくなってしまうほうがもっと恐ろしい気がしました。
 やせて青ざめた少女。ジョゼは鏡のなかのじぶんに気がついて、ぼんやりとその少女と目をあわせました。ぶかぶかの、着古したウールの上着に埋もれた、貧相な女の子がジョゼでした。おどおどとして陰のある、暗い灰色の瞳。細く頼りない、木枯らしに吹かれた砂のような髪の毛。

 こんな女の子が、こんな私が、明日はドレスを着てオペラを観に行くなんて! ――それは恐ろしさと同時に、ふしぎとジョゼの心の奥を波立たせる昂ぶりでした。鏡のなかのジョゼは目を見開いて、かすかにふるえていましたが、じぶんでも何が恐ろしいのか、そして何をこれほど待ちのぞんでいるのかわかりませんでした。

 ジョゼは思わず窓のほうを振り返って、閉ざされたカーテンの向こうのお隣りの窓を思いました。かの女にはほんとうに、ジルとフランだけが頼りなのでした。ああ、どうか、どうか、フランがあまりに都会ふうのドレスを選びませんように!
 両手を組み合わせると、それきりジョゼはもう考えるのをやめることにして、大あわてでベッドへもぐりこんだのでした。





2008/10/11(土) ジョゼ
タイトル かくされたラピスラズリ 3



 青いばら。夕暮れを塗りかえる夜いろをした、そのふしぎなばらは、ジョゼがサントローヌの森で初めてジルたちに出会った日からもういく日も経ったと
いうのに、未だにテーブルのグラスのなかで静かに咲いているのでした。
 ほんとうに、ふしぎなばらでした。ジョゼはその花を見つめていると、胸のなかがすう、と凪いでいくような気持ちがしました。まるでその花びらの青が、苛立ちもかなしみも吸いこんでいるような。
 いつか忘れないように、ジルにこのばらのことを訊こう、とジョゼは思いました。もしかするとジルたちは、見知らぬ国からやって来た家族で、青いばらはその遠いどこかの国にしか咲かないものなのかも知れませんでした。けれども、もしそのばらをこのお屋敷の庭でも咲かせることができたなら、ばらを愛するオーベールお祖父さまがきっと喜ぶにちがいありませんでしたから。

 そうしてしばらく、テーブルのうえに飾ったばらを見つめていたジョゼの目は、そのまましぜんと、かたわらに置かれた白い箱に留まりました。それはアレクシから届いたもので、銀色のリボンは届いたときのままにかけられていましたが、その中身がドレスであることは添えられたカードで知っていました。
 なんていやなひとだろう、とジョゼは思わず眉を寄せて、洋服だんすへと視線をもどしました。ジョゼがアレクシと初めて会ったのはまだかの女が十にも満たないころでしたが、それ以来年に一度はこうしてドレスを贈られているのでした。もちろん、初めてドレスをもらったときには驚きと同時に嬉しいような恥ずかしいような気持ちもあったのですが、アレクシの選ぶドレスと言ったら、まるでジョゼには似合いそうにない、明るく華やかないろのものばかりなのです。一昨年は朝もやのような薄いアイリスいろ、去年は前庭の東に咲くオールドローズのようなピンク。

 アレクシはジョゼにとって、おとなの女のひとの「きれいで華やかなドレス」とおなじようなものでした。それはジョゼに、さあ早くこちらへ、明るくて楽しい場所へおいでと手招きするのです。



2008/10/11(土) ジョゼ
タイトル かくされたラピスラズリ 2



 けれども、ジョゼはそういうきれいなものを、いまは亡きサビーヌお祖母さまがたいそうジョゼに身につけさせたがっていたことを覚えていました。サビーヌお祖母さま自身、それほど着飾ることにこだわるひとではありませんでしたが、血はつながっていないとは言え「自分の子ども」です。できるだけたくさんの美しいもの、――それも、本物の美しいもの――を与えたいと思うのは当然のことでした。

 ジョゼの視線の先には、洋服だんすのなかに丁寧にしまわれていた一着のドレスがありました。それは、サビーヌお祖母さまがジョゼの十五歳の誕生日に特別にあつらえてくれた、濃青のドレスでした。
 上等の絹で仕立てられたドレスの胸もとにはやわらかな木洩れ日のようなリボンが波打ち、ふうわりとした裾はひろがりすぎず、光の射しぐあいで少しずつ色味が変わるさまは、まるで深い湖の水面のようでした。
 それに、ああ、なんと言ってもこの、夢見るような青!
 ラピスラズリのように混じりけのない、深く澄んだブルーは、見つめるだけで吸い込まれてしまいそうで、かつてサビーヌお祖母さまのまえでドレスの包みを開いたときには思わず息をするのを忘れてしまったほどでした。
 あざやかで気高い青。サビーヌお祖母さまの亡くなるまえに、ジョゼがそのドレスを着たのは一度きりでした。私がもしも、フランのようにきれいで、女の子らしかったなら……そんなことを考えてもしかたのないことはジョゼにもわかっていましたが、それでも考えずにはいられませんでした。もしも私がフランのように素敵な女の子だったなら、お祖母さまはどんなにか喜んだことでしょう。
 そうだわ、とジョゼはドレスを見つめながら首をかしげました。きっとフランの白い肌と黒い髪に、この青は映えるにちがいない。想像するだけであまりにぴったりなので、ジョゼはおぼえずうっとりとため息をつきました。あの青いばらのようなドレスならば、きっとフランも気に入ってくれるはずです。



2008/10/11(土) ジョゼ
タイトル かくされたラピスラズリ 1



 その夜、ジョゼはやわらかな紅茶の香りが満ちた自分の部屋に小さな灯かりをともして、ずいぶん長いこと洋服だんすのまえを行ったり来たりしていました。
 いよいよ明日はオペラを観に行く日です。いつもならば、アレクシの誘いをことわってばかりのジョゼでしたから、おとなのような装いで、おなじように着飾ったひとびとが集まる劇場へ出かけていくのはゆううつでならないところでした。
 実際、ジョゼはいつものように気分がふさぎこんでいるのを感じていました。けれどもそうした反面、少しだけわくわくしているのにも気づいていたのです。ジルやフランチェスカがいっしょだということが、ジョゼの気持ちを落ち着かなくさせていました。何しろ二人は、ジョゼにとって初めての「お隣りさん」であり、そして、モリエール先生のほかに初めてできた「お友だち」でもあったのですから。

 そんなふうに、不安なような、それでいて楽しみであるような、どっちつかずの気分を胸にしまいこんだジョゼが、とりわけ悩んでいるのは、美容室のマダム・ソランジュが持ちかけた「ドレスの交換」についてでした。

『いつもと違う服も、新しい髪形もお化粧も、わるくないものよ。それまでの自分とは違う気持ちになれるわ、まるで、自分が別人になったみたいに思うことだって』

 ソランジュの言葉を思い出すと、きゅう、と胸の奥が痛くなるような気がしました。もっと華やかな服を着るようにと、オーベールお祖父さまに言われるほどに小さなとげを心のなかにとがらせては依怙地になっていた自分が、なんだかただの頑固な石ころみたいに思えました。

 ジョゼにとって、透き通るオーガンジーやなめらかなサテン、たっぷりとしたフリルやレースのドレスは、裕福で気高い、おとなの女のひとのものでした。「私とは正反対の」と、そう決めつけて、ジョゼはずっとそれらを身につけることを避けていたのです。それが「おとな」になりたくなかったからなのか、「女のひと」になりたくなかったからなのか……それとも、「なりたいけれど、なれない」からなのか、深く考えたことこそありませんでしたが、とにかくジョゼはそういうきらびやかなものをきらって、いつもおなじように地味なドレスを、履き古した靴にあわせて着ていたのでした。



2008/09/26(金) フランチェスカ
タイトル むすめたちのたのしみ 5 今日の気分おしまい



(……それに、あのリボンのことだってきっと忘れてるんだわ)

 フランチェスカは、もちろん、あのヒヤシンスいろのリボンを忘れていませんでした。それどころか、リドルにそれを渡してもらうのを待っていたぐらいでした。
 やっぱり飼い猫あつかいをしたから怒ってるのかしら。フランチェスカはかれがああみえて気位が高いことを知っていましたから、そのことが気掛かりでした。でも仕方なかったんだわ、あのままじゃ様子がおかしいって思われたもの。
 あたしがあのリボンをだいじにしてるの知ってるくせに、とフランチェスカはすねた気持ちで服のすそをいじりました。リドルの毛並みのように――と言ったら、リボンなんかと比べて、とかれはまた怒るかもしれませんが――すべすべで、お屋敷の裏庭の青いばらにもすこし似たヒヤシンスいろのリボン。あのリボンをつけているときだけは、暗いいろの髪のままでもわるくはないかもしれない、と思えてくるのでした。
 もしニコラだったらすぐに届けてくれたわ。アレクシさんぐらい気がきくなら、きっと、小さな花々をリボンでたばねて花束をつくったりしてくれたかもしれない。……そうよ、リドルが自分で思い出してあわてて渡しに来るまで、ぜったいあたしから返してなんて言ってやらないんだから。あたしは取ってきてってリドルに頼んだのよ。
 その場にリドルがいるわけでもないのに、フランチェスカはむやみにつんとしてソランジュに答えました。

「大丈夫です。きっとアレクシさんがお相手してくださいますから」
「あら、でも彼ひとりでしょ?」
「アレクシさんなら、四人でも五人いっぺんでも平気ですよ」

 椅子をくるくる回しながら、フランチェスカの機嫌のわるそうな声を聞いていたジルは、アレクシがジョゼとフランチェスカとモリエール先生をいっぺんに取り回してダンスをしているのを思いうかべました。
 あんなにひょろひょろしてちゃむりそうだなあ、エドゥアールおじさんぐらいでっかくないと。ダンスと言えば、リサンドラやドニたちと飛びはねたりする大さわぎを思いうかべてしまうジルはそう思ったのですが、またフランチェスカがぷんすか怒りだしてはかなわないと、だまっておくことにしたのでした。



2008/09/26(金) フランチェスカ
タイトル むすめたちのたのしみ 4



 やさしいけれど押しのつよいソランジュの言葉に、ジョゼはそう答えました。
 服を交換するなんて思ってもいなかったことでしたが、おもしろそう、とも感じたのはほんとうでした。ジョゼは小さいころに読んだ、お姫さまと侍女が服を取り替えて入れ代わってしまう物語を思いだして、かすかにはにかみました。ただ、あまりすそが短すぎない服ならいいけれど、とこっそり心配にもなったのですが。
 フランチェスカは目をまるくしました。ジョゼがそう言うとは思っていなかったのです。フランチェスカはまるで勝負をうけてたつかのように、わかったわ、と答えました。

「決まりね! そうすると、エスコート役がいないのが不足ね。ニコラやリドルたちは誘わないの?」
「いいんです」

 あんまりフランチェスカがきっぱり強く言ったので、ソランジュは胸の前で手を合わせたままきょとんとしました。
 フランチェスカは苦い顔をして、きまりがわるそうにふたりから目をそむけました。

「あら、どうして? 仲たがいでもしたの?」
「……そういうわけじゃないですけど」

 アレクシが手に入れたのは、ヴァルセー劇場のボックス席まるまるひとつでした。ですからまだ人数には余裕がありましたし、「お誘いになりたい方がいらっしゃったら遠慮せずにどうぞ」とかれも言っていたのです。
 そこでフランチェスカは、リドルやニコラにも声をかけてみようと思っていたのですが、あの一件からというものふたりはなぜかちっとも顔を見せないのです。リドルはずっとロシュー通りのアパートに寄り付いていません。毎日のようにノアの店に来て、フランチェスカの顔を見てにこにこしていたニコラでさえそうでした。つい昨日、フランチェスカは通りでニコラを見かけたのですが、かの女が声をかけようかどうか迷っているうちに、かれはせわしげに走りさっていってしまったのです。
 いいわよ、どうせふたりともオペラに興味なんてないにちがいないわ。なにせ、自分たちの仕事がいそがしくて、すこしも顔を見せないぐらいなんだから、誘ったって来れるわけないもの。フランチェスカはそう思っていました。
 実際にかれらがマリヴァンの街を走り回っていたのは、その当のオペラのチケットを手に入れるためだったのですが、そんなことを知らないフランチェスカは、すっかりへそをまげてしまっていました。


2008/09/26(金) フランチェスカ
タイトル むすめたちのたのしみ 3



 ソランジュの説明に興味しんしんなフランチェスカの横で、ジョゼはふくざつな顔をして目をふせました。
 ジョゼはいま十五歳。マリヴァンにお屋敷を持つ家の若いむすめやむすこたちが、晴れやかな服を着ておひろめをはじめる年ごろです。もちろんジョゼもそのむすめたちのうちのひとりで、オーベールには、遅くとも来年には社交界に出なくてはいけない、と言われているのでした。
 けれども、ジョゼは気が進みませんでした。もうご存じのように、ジョゼはいろとりどりの宝石よりも、石のつめたさがなくほのかに香る花のほうが好きでしたし、にぎやかな大広間よりも鳥のさえずりに耳をすませる静かな部屋のほうが好きだったからです。
 そんなジョゼの顔をちらりと見て、元気付けるようにソランジュが言いました。

「いつもと違う服も、新しい髪形もお化粧も、わるくないものよ。それまでの自分とは違う気持ちになれるわ、まるで、自分が別人になったみたいに思うことだって。
 普段はできないと思っていたことができるような気分になったり、やってみたら本当にできてしまったり――」

 そこまで言って、ああ、とソランジュは手を打ち合わせました。

「そうよ、ふたりとも、服を交換したらどう? お互いがお互いに似合うだろうと思う服を選んであげるのよ、ただし、自分の洋服だんすのなかからね。
 そうしたら、わたしがふたりによく似合いそうな髪形にしてお化粧をしてあげる。どう?」

 ジョゼとフランチェスカは顔を見合わせました。確かにふたりは、ほとんど同じ背たけで――かかとの高い靴のせいで、いっけんフランチェスカの方が高くは見えましたが――ソランジュの思いつきはそうとっぴょうしもないことではありませんでした。

「でも、あたし……」
「ジョゼの服がそんなに地味だって言うなら、あなたが選んでごらんなさいよ。わたしはジョゼの服も好きよ、いつも上品ですてきだわ。フランに似合う服だってきっとジョゼなら選べるわよ。ね?」
「……フランが、それでいいなら」


2008/09/26(金) フランチェスカ
タイトル むすめたちのたのしみ 2



 むずかしい顔でフランチェスカはうなずきました。
 着かざるのが好きなフランチェスカにとっては、年ごろのはずなのに、お化粧もせず髪も巻かないジョゼのことが信じられないのです。それにかの女にしてみれば、ジョゼのいつもの服装も地味すぎるように思えました。きっと明るいいろの服なんて持っていないにちがいないわ、だって着ているところを一度も見たことないもの、とフランチェスカは思いました。
 かの女がジョゼにお茶に招かれてから数日、ふたりははにかんでおしゃべりができるぐらいに仲がよくなっていました。けれどフランチェスカは、まだいまひとつ納得がいきませんでした。ジョゼが、ニルダが鏡にうつした女の子にそっくりだというのは、フランチェスカも認めるところです。けれども、昼の民からただひとり選ばれた女の子にしては、ジョゼはあまりにぱっとしない気がするのです。

(感じはわるくないけど特別な子だとは思えないわ。どうしてこの子が選ばれたのかしら)

 そんなことを考えているフランチェスカをよそに、ソランジュはジョゼが座っているソファの近くにある背の高い椅子にもたれて、ジョゼを見ながら笑って言いました。

「きっと、あなたが舞踏会に出るのを今かと心待ちにしているひとたちもたくさんいるのに」
「舞踏会!」
「モロー家のお嬢さまとあったら出ないわけにはいかないでしょう。それに、マリヴァンは今でもそういう古い街なのよ」

 マリヴァンは、かつては貴族が――フランチェスカには『貴族』がいったいどういうひとびとなのか分かりませんでしたが、昼の民ならば当然知っていることのようにソランジュが話すので、教えてほしいとついに言い出せませんでした――たくさんいた街でした。毎日のように舞踏会や食事会を開く、ぜいたくな貴族たち。当のオペラが上演されるヴァルセー劇場も、そういった貴族たちに愛されて名をあげた劇場なのでした。
 そして、いまでこそ身分のへだたりはありませんが、古い街であるマリヴァンにはまだ昔の習慣が残っているのです。かつての貴族たちを中心としたそういった付き合いは今でも確かにあって、ときどきはソランジュもパーティーに出る女のひとの髪を結ったりすることがあるのでした。


2008/09/26(金) フランチェスカ
タイトル むすめたちのたのしみ 1



「ぜったいだめよ!」

 扉にさがった『休憩中』の札までおどろいてうっかり落ちそうになったほどの大きな声が、小さなお店のなかにひびきました。
 外までその声が聞こえたはずはないのですが、通りを歩くひとがちらりちらりと視線をなげかけていくのは、ここが美容院だからかもしれません。道ゆくひとは、あざやかな色で女のひとの絵が描かれたガラスごしに、気が強そうに立っている黒髪のむすめと、その向かいのソファに座っているシナモンいろのおさげのむすめを見たことでしょう。フランチェスカとジョゼです。
 怒っているようなフランチェスカの強い言葉にまいって、ジョゼは困った顔で首をふりました。

「そんなこと言ったって、フラン、わたし」
「いいえ、地味すぎるわよ。せっかくオペラを観にいくのだから、ソランジュさんに髪もきれいにしてもらって、お化粧もしないと」
「フラン、あんまり押し付けちゃだめよ」

 ガラスの壁にブラインドを下ろしながら苦笑いするソランジュに、でも、とフランチェスカは不満げな様子をみせました。
 フランチェスカは、『ノアの店』のひとの出入りが落ち着くころを見計らって、ジョゼとソランジュの美容院でおちあう約束をしたのでした。とうとう明日の夜にせまったヴァルセー劇場でのオペラに、どんな服を着るか、どんな髪型にするか、ソランジュをまじえて相談するためです。
 ジルは、美容室の大きな椅子に座って、ひまを持てあましたように椅子をくるくる回して遊んでいます。最初のころは三人の話に加わろうとしていたのですが、そのたびにフランに「ジルは男の子でしょ、男の子には関係ないのよ」と言いふせられてしまうので、とうとうあきらめてしまいました。

「あなただって気に入らない服を無理やり着なさいって言われるのも、ひとに髪型を勝手に決められるのもいやでしょう?」

 その通りだと思ったフランチェスカはいったん黙りこみましたが、やっぱり納得がいきません。困り顔のジョゼとソランジュを交互に見くらべて、何度も何か言いかけたあとで、首を横にふって言いました。

「……でも、もったいないと思いませんか?」
「確かにそれはすこし同感ね」


2008/09/11(木) リドル
タイトル リボンの思い出 5 今日の気分おしまい



「だけど、いったいどこに行こうってんだい?」
「リドルおまえ、ねぼけてるのか? おれも行くんだよ、“幻の公演”にさ!」

 リドルはすっかり驚いて、目をまるくしてしまいました。アレクシは確かに、フランチェスカとジルのぶんのきっぷを用意してくれると言っていましたが、そのときに「めずらしい演目なので、チケットはもうほとんど手に入らないそうですよ」とも話していたのです。
 リドルはその話をニコラにもしてあげました。けれどもニコラはひょいと軽く肩をすくめただけで、またすぐに帽子を取って出かけようとします。

「ニコラ」
「おいおい、どうしたんだリドル? いつものおまえらしくないぞ」

 そう言って、リドルがさっきまでそうしていたように、今度はニコラが「やれやれ」と首を振り、人差し指をリドルにつきつけました。

「『どんな小さなさがしものでも、見つけると決めたら見つけ出す。さいごのさいごまであきらめない』、それがおれたち探偵社のルールだろ? 手に入るかどうかなんてやってみなくちゃわからないし、おれはフラニーちゃんとデートしたいんだ!」

 ぜったいあんなへんてこなやつに先をこされるもんか。はりきってそう言うと、ニコラは「じゃあな」と短く言って、軽い足どりで出て行きました。

 残されたリドルは、部屋のまんなかに立ったまま、閉じた扉をしばらくのあいだじっと眺めていました。確かに、ニコラの言う通りでした。リドルとニコラの小さな探偵社には、物語のような派手な仕事はありませんでしたが、どんな小さな仕事にも、せいいっぱい取り組むことが、かれらなりの「誇り」だったのです。
 それに、不思議なことでしたが、リドルはなんだかおなじようなことを、ずっとまえにも言われたことがあるような気がしていました。


『あきらめてしまうなんて、リドル、いつものきみらしくないね』


 それはリドルがもっと小さなころの記憶でした。隣りに、だいじな友だちが座っていたのはおぼえていましたが、かんじんの、その言葉を言ったひとがだれだったのか――その顔はぼんやりと薄れていて、どうしても思い出すことができなかったのでした。




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