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| タイトル |
98:だって私は、そばにいたいから |
今日の気分 | 4/4 |
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下校時間になって、校門でみつほと別れると、私たちは家路につきながら少し寄り道をしていた。 夕暮れが近くなった空の下、近所の公園に寄り、二人でブランコに腰かける。私は、この町にしか自分の居場所はないのだと確信を持っていた。
母はもう亡くなってしまったけれど、頼りになる朝子おばさまがいる。
一夜は確かに私の隣にいるし、みつほだっている。
「驚くかもしれないけどね、私、向こうにいたときは大人しい子どもだったの。」
一夜に向かって、ゆっくりと話を切り出す。
過去を振り返ることは、明日に向かう為の手順なのだと言い聞かせながら。
「私は、やっぱり日本人とドイツ人のハーフだから。どちらかと言えばママに似てるし、アジア系の血が混じった顔立ちは向こうでは目立ったのよ。だから、いじめられてた……ってほどではないと思うんだけど、馴染めなかったのは確かね。」
そう言いながら、肩を竦める。その中で救いだったのが、リュシアンの存在だ。
「そのうちにパパとママが引き裂かれて、逃げるようにして日本に来たわ。それが分かっていたから、向こうにいたときから日本語を習っていたのかもね。 でも。」
「……でも?」
「―――日本に来ても、あまり変わらなかったわ。 やっぱり、容姿のことでからかわれることが多くて。特に男の子にね。 みつほは、そのときのことを『あんたが可愛かったからよ』って言うけど、本当に辛くて、学校なんて大嫌いだったわ。」
―――泣いてばかりだった私。父が恋しくて、ドイツにも日本にも馴染むことができなくて、自分の居場所なんてどこにもないと、漠然と感じていたあの頃。
「今は、違うだろ?」
「……うん。」
「アイネには谷澤がいるし、俺もいるよ。」
夕焼けに照らされた一夜の横顔を見ながら、そうね、と同調する。 また、私は泣きそうになっていた。不安なんて、一夜の言葉がどこかに追いやってくれる。
「―――私、自分がどうすればいいか分からないの。リュシアンには、ドイツに戻ってこいって言われたわ。……でも、私はここにいたいのよ。 ねぇ一夜、私……」
続きを言おうとする前に、気づくと私は一夜の腕の中にいた。―――急に抱き締められて驚いたけど、その力強い温もりが、何よりも信じるべきもののように思えた。 |
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| タイトル |
97:物音の正体、そして |
今日の気分 | 3/4 |
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「あーっ、もう! 月島君ったら、何やってんのよ! バレちゃうじゃないの!」
「……いや、ごめん。でもお前も声、でかいんだけど―――」
声だけでみつほと一夜だ、と分かった。心配してくれていたのかもしれない。 二人の存在は、このとき私を妙に安心させた。もう、私の居場所は日本にしかないのだと思う。ドイツに戻ったところで、うまくやっていけるかどうかなんて分からない。
この日本で、一夜たちと未来を築き上げていきたいと、私は確かに望んでいる。
「リュシアン、そろそろ戻りましょう。予鈴が鳴るわ。」
「―――なに、今の音。 Wer sind sie?(誰?)」
「私の友達よ。話ならいつでもできるじゃない。 ね?教室に戻りましょう。」
弁当箱をハンカチで包んで結び、立ち上がる。 リュシアンを促すと、渋々と言った様子ながらも、立ち上がって歩き出した。私も後ろに付いていく。
リュシアンがドアを開けると、一夜もみつほも、驚いたようだった。
「………あ。」
「あ、あら、アイネたち! 偶然ね、月島君が本を返しに行くって言うから。」
「まあ、そういうことにしておきましょうか。」
そうして、私たちは連れ立って教室に戻った。話の腰を折られたからかリュシアンは少しむっとしていたけれど、改めて話し合うまでもなく、私の意志はほとんど固まっていた。 私は日本にいたいし、これからもずっと、一夜のそばにいたい。
「一夜。」
「ん?」
「……私がドイツにいた頃の話は、今まであんまりしたことがなかったわね。」
一夜は何も言わずに頷いて、私の顔をじっと見つめる。私は、そっと微笑する。
「聞いてくれる?小さい頃の話。 そんなに面白い話じゃないんだけど。」
「そりゃ、お前が話したいんだったら聞くよ。」
「……うん。 じゃあ、帰りのときに―――あ、でも部活があるかしら?」
「あー、今日は部長がいないからな。休んでも大丈夫だし、休むつもりだった。」
そう、と答え、じゃあ一緒に帰りましょうね、と言うと、一夜はもう一度頷いた。
「ね、一夜。」
「何だよ。」
「ありがと。」
一夜は眉を寄せたけれど、そんな彼を見て、私はほっとした気持ちになっていた。 |
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| タイトル |
96:生まれた国と育った国 |
今日の気分 | 2/4 |
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ボクとドイツに帰ろう―――Gehen wir Deutschland.
一瞬、何を言われたのか分からなかったけれど、彼が冗談を言っているとはとても思えなかった。少し考えあぐねてから、「……無理だわ。」と辛うじて答えた。
「私はもう日本人よ。ここでの生活が気に入ってるし、今の暮らしが好きなの。」
「ボクは、アイネの幸せのことを考えて言ってる。Vatiのいるドイツで暮らす方がきっと幸せになれるはずだし、お爺さまだってアイネのことを心配して―――」
「幸せの基準なんて、私が決めることなのよ。 私は今、日本にいて幸せだわ。」
―――そう。私は恵まれているし、幸せだと思う。 みつほがいて、私を温かく迎えてくれた朝子おばさまがいて、そして何より、一夜がそばにいてくれて。
「もし望むなら、チヤコおばさんだって一緒に戻ってきていいんだよ。」
優しく諭すようなリュシアンの言葉に、私は微笑んで首を横に振った。
「……ママはね、亡くなってしまったの。今年の、まだ最近の話よ。」
「―――Wirklich?(本当に?)」
「Ja. でも、私は寂しくないのよ。ママのお友達だった人のところでお世話になってるの。それはもちろん、いつまでも居候させてもらうわけにはいかないけど。」
「だったら尚更だ。アイネ、ボクはマジメに言ってる。 君を迎えに来たんだ。」
迎えに、来た。
その言葉を胸の内で繰り返しながら、私は何故か、泣きそうな気持ちになっていることに気づいた。きっと、まだ私が小さかったなら、迷わずに母とドイツに戻っていたかもしれない。 でも、私はもう17歳だし、父やドイツを恋しがって泣いていたときの小さな女の子じゃない。―――どうして今更、と、心の中で舌打ちする。
「……戻りたく、ないわ。私はこのまま日本にいたい。」
「チヤコおばさんがいなくても? それでも、アイネはニッポンにいたい?」
黙ったまま、頷く。リュシアンは、私の髪にそっと触れながら「……分かった。でも、ちゃんと考えておいて。今すぐに答えを出せとは言わないから。」と、優しく言った。 髪を梳いて、アイネは綺麗になったね、と独り言のように言う。 リュシアン自身も、すっかり大人になっていたのだけど、私は何も言えなかった。
―――図書室のドアががたんと妙な音を立てたのは、ちょうどそのときだった。 |
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お昼休み。ようやくリュシアンと二人で話す時間が取れたものの、突然の再会に私は動揺を隠せなかった。あんまりにも突然すぎて、本当にびっくりしていた。
―――いとこであり、幼なじみでもあるリュシアン。優しい兄のようだった彼。
その懐かしい、面影を残したままの姿を見ながら、私は昔のことを思い出す。
同年代の彼は、かつてのよき遊び相手だったし、リュシアンはよく私の面倒を見てくれた。当時は家が近かったので、一緒に学校に通っていたりもした(日本人学校ではなく、シュタイナー学校という小学校から高校までが一緒になったようなところだ)。
でもまさか―――今になって、こんなところで会えるとは思いも寄らなかった。
「……日本語、とっても上手になったのね。 昔はろくに話せなかったのに。」
教室は騒がしいので(そう、本当に、騒がしい。色んな意味で)、私とリュシアンは図書室にお弁当を持ってきていた。 ドイツにいたときは、私もリュシアンもドイツ語で話していたけれど、私はそのときから少しずつ日本語を習っていて、リュシアンも片言の日本語を喋っていた。 リュシアンは、ふっと笑った。
「学校で”日本語クラブ”なんてあってさ。ほとんど独学だけど、勉強した。ニッポンはアイネのMuttiの国だし、ボクも日本語を話せるようになりたかったから。」
「リュシアンは今年、卒業?」
「そう。卒業したらAbiturを取るために勉強しないといけない。」
Abitur、アビトゥアとは、日本でいう高校卒業資格にあたるものだ。
それを取らないと、大学には進めない。
「だから今のうちに、って思ったんだ。少しムリを言ってニッポンに留学させてもらった。クラスのみんなでやる卒業制作もあるし、そんなに長くはいられないけど。」
「そう…。でも、よく私のいる学校なんて分かったわね。」
「まあ、そんなのは調べようによればいくらでも、とでも?」
昔と変わらない、自信にあふれた物言い。本当に、リュシアンは変わっていない。
「アイネ。」
日本人の一夜やみつほたちが呼ぶのとは少し違う響きで私の名を呼び、真剣な表情で私の瞳を覗き込むリュシアン。さりげなく、なに、と聞き返したものの―――
「Gehen wir Deutschland.(ボクとドイツに帰ろう。)」 |
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体育祭が終わった数日後の事。
後は夏休みを迎えるだけ、と気の抜けた気分の俺たちに、新たな事件が巻き起こったのは、ある日の朝のHRのことだった。
「でさ〜あたしはさ〜海に行きたいのよね。ね、聞いてる、アイネ!」
「ん〜あたしは海はちょっと…」
「いいのよ、泳がなくても。海の家とかでカッコいい男の子を見るだけでも楽しいじゃない」
「えぇ〜みつほってばそんな事言うの」
「そうよ〜!ね、月島君も可愛い水着の女の子、見たいでしょ」
「…ん…そうだなぁ…」
HRの前の、ちょっとした時間。谷澤とアイネは夏休みの話題で盛り上がっている。…ちょっと、気が早くないか?それにしても、俺は眠くてそれどころではない。
「ちょっと、一夜ってばそんなこと考えてるの?!」
「え?な、なんだよ」
「…ふーん、仲いいのね、お二人さん」
「え?ん??」
話を聞いていなかったので、二人がが何を言ってるんだかわからない。
ガラガラガラ…
「さ〜、みなさんおはよう〜」
そんな時、担任の声がした。
「さて!今日はみんなにご報告がありまーす!」
やたらに楽しそうなご報告だ。
「転校生…というかホームステイの学校版(?)を紹介します!」
ふーん。転校生…っつーかホームステイ学校版?なんだそりゃ。と、いうことは、外人か?…外人…なんだか、嫌な予感がする。
「さ、入ってクライス君」
ガラガラガラ…。教室のドアが開く。…ん?クライス?
ワァ…。教室がざわめく。男から見ても綺麗な、美男子。
「改めて紹介します!リュシアンクライス君です。年は18歳と、みんなより少し上だけど、日本の風習を学びに来た、ということでこの学校に来ました。そんなわけで、従兄弟であるアイネさんがいる、このクラスで一緒に過ごしてもらうことになったの。ま、よろしくね」
あらかた説明をして、先生はそいつに挨拶を促す。俺は、思わずアイネの顔を見る。アイネはびっくりして奴を見ている。
「どうも!リュシアンクライスと、いいます。みなさん、よろしく!」
さわやかな挨拶。
クラス中の女子が見とれている…(気がする)
「アイネ!Ich wollte mich treffen(会いたかったよ)!!」
かろうじて、アイネだけは聞き取れた。クラスの中が、アイネと奴を見比べている。
なんだか、すごい奴が現れた…また、新たな、嵐の、予感。 |
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| タイトル |
93:体育祭―雨降って、地固まる。 |
今日の気分 | 3/4 |
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…数日後。
体育祭の日が来て、俺もアイネも、お互いのパートナーと共に、懸命に二人三脚へと挑んだ。
アイネは部長に引きずられ、ひざを擦りむいた…のにも関らず、突然頼まれたのか、何故か色々な競技に参加していた。
団体競技が嫌いだと言っていたわりに、妙に楽しそうだった…が、それは、彼女なりの強がりだったようだった。
「アイネの姿が見えないのよね…どこ行ったのかしら」という、谷澤のつぶやきを聞いたのは、昼休みがもう少しで終わろうとしている頃だった。
アイネを探しているらしい彼女に加勢して構内を探しまわっていると、体育館裏で、じっとうずくまっているアイネを見つけた。
「どうしたんだよ?こんなところで」
「あ…見つかっちゃった」
苦笑いと共に、アイネが俺を見上げる。ひざ小僧の傷口に血が滲んで、痛々しげだ。
「ちゃんと治療したのか」
「ん…あんまり心配かけちゃいけないと思って」
部長の狼狽を思い出し、なんとなく納得する。
「でも、ちゃんと消毒とかしないとじゃないのか」
「ん…」
こういうのはアイネの悪いところな気がする。肝心なところで、自分のことは後回しにしようとする。
「来いよ」
「え、ちょっと待ってよ…」
無理にアイネを立ち上がらせ、腕を引っ張った。とにかく、保健室で治療してやろう。
「誰も…いないわね」
「いないな」
ガランとした保健室。そういや体育祭の日は、救護コーナーにみんな出払っているんだっけか。
「ま、いいだろ。勝手に使っちゃおう」
「いいの?勝手にやって」
「ん。そこ座れよ」
「うん」
ソファにアイネを座らせて、俺は治療箱を用意する。
と、数日前の出来事が頭を過ぎる。あんなところを見られちまったんだな…
「よし、染みるけど我慢してくれよな」
「ん。」
あの子と違って、アイネは痛みを我慢して耐えていた。
手当てはすぐに終わった。
「ありがとう」
救急箱をしまい終えた俺に、アイネが嬉しそうに言う。
「別に」
なんだか、照れくさくて素っ気無い答えをしてしまった。
「じゃあ、戻るか」
「うん。戻ろう」
ソファから立つアイネの腕を取り、引き寄せる。瞬間、どちらからともなくそっと抱き締め合った。お互いの心臓の音が聞こえそうな程、静かに時が流れる。
それからゆっくり離れて、保健室を後にした。 |
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「や…!一夜!!」
頭の上で、アイネの声が聞こえ、地面がなくなったような感覚に襲われる。
思わず、目をつぶり身構える。
…
……
………
あ、れ?地面に、ぶつからない。
と、いうよりも、なんか…俺、浮かんでる??
ゆっくりと目を開ける。
「…?!ア、アイネ?!」
「もう、どうしてくれるのよ!!」
ホッペをぷっくりと膨らませて、彼女は優雅に“飛んで”いる。
そう、俺たちは今、空を飛んでいるのだ。
アイネの顔の後ろには、黒い翼が風を切っている。
「一夜のドジ!ばか!」
耳元で繰り広げられる文句の嵐を、俺は心地よく聞いていた。
アイネがいなければ、俺はきっと、死んでいた。
「あーあ、もう、制服が台無し」
近くの公園(林のように木々が茂っていて、目立たない)に降り立ち、アイネはまだ、怒っていた。
「…ごめん」
「でも、よかった…ほんと…一夜が生きてて」
すとん、と木の幹に座り込み、アイネがほっと息をつく。
「ごめん…ってそういや、大丈夫だったのか?」
もう、何十回目かの「ごめん」を言って、今更俺は事の重大さに気がつく。
「何がよ?」
怪訝な顔でアイネは俺を覗き込む。
「何がって、学校で飛んだんだろ?」
「あぁ、大丈夫よ。幸い、玄関側だったから、下には誰もいなかったわよ」
「そっか…よかった」
俺のせいで、エライことになってしまったが、それならちょっと安心だ。
「アイネ」
「ん?」
「ありがとうな」
言って、手を差し出す。
「どういたしまして」
俺の手を取り、アイネも立ち上がる。
「さ、学校へ帰ろう」
「ん。そうね…」
手を繋ぎ、二人で学校へと帰った。
なんだか、不安が少し、晴れた気がした。 |
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ギイィ…
屋上の重い扉を開ける。うっすらとした光と、やさしい風が頬を通り過ぎる。
見渡すと、フェンスに持たれるようにして空を見上げている、見慣れた背中を見つける事が出来た。いつもより、少し、小さく見える背中。
「そうしてると、どこかに飛んでっちまいそうだな」
思わず、そんな台詞がついてでた。
「…?あ、一夜」
振り返ったその顔は、悲しそうな…戸惑うような、そんな複雑な表情。
アイネの横に立ち、空を見上げる。
「ここ…だよな」
「え?」
「ここ、だったよな。俺たちが始めて会ったのは」
昨日の事のようにも、もっとずっと昔の事のようにも思える、あの、衝撃的な出会い。屋上に降り立った、黒い、翼を持った少女。
「そうね。ここ、だったわね」
ポツリ、とつぶやくように言ったアイネの言葉の後、お互い、どこから切り出していいかわからず沈黙が訪れる。
俺自身、何を言うべきなのか、よくわからないでいる。
なんでこんなに不安な気分なのか。
ピリリリリ…
沈黙を破るように、携帯の音が鳴り響く。
「あ、みつほからだ」
アイネがディスプレーを覗き、クスっと笑う。
「『どこにいるの?月島君と一緒なんでしょ?なら別にいいけど…』、だって」
谷澤からのメールを読み聞かせ、笑う。谷澤らしいメールだ。
「みつほらしいわね」
笑いながら、アイネが携帯をポケットにしまおうとした時のことだった。
チリン…コロコロコロ…
携帯のストラップについていた鈴が切れて落ちた。
「あっ…!」
アイネが鈴を追いかけたものの、フェンスの反対側へと鈴は転がっていってしまった。
「あぁ、一夜に買ってもらったやつなのに」
口惜しそうに、アイネがフェンスの向こう側を覗き込む。
「え?俺?」
「そうよ、忘れたの?前に買ってくれたじゃない!」
言われて思い出す。
駅を歩いていた時、あんまり欲しそうにしていたので思わず買ってしまったのだ。そういえばペアで、俺の携帯にもついているやつだ。
「よし、取ってやるよ」
「え?危ないわよ」
「だーいじょうぶだって!見てろよ」
ひょい、とフェンスを乗り越え、屋上の端っこへと向かう。
足元に落ちている鈴を拾おう、と、した時だった…
ズル…と、足がすべり、バランスを崩す。
やばい…このままじゃ、落ちる……! |
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| タイトル |
90:屋上でボイコット |
今日の気分 | 4/4 |
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―――翌日。
誰もいない、がらんとした屋上。 もうすぐ二時間目が始まる頃なので、人気がないのは当たり前だった。次の授業は体育で、どうせ体育祭の練習をやるのが分かりきっていたので、どうにも気が向かず、サボってしまうことにした。
……体育祭の日も、休もうかな。
ふいに、そんな考えが浮かんだ。 別に誰かに迷惑をかけるわけでもない。自分の出るべき競技に開く穴だけは、何とか補ってもらわないといけないけれど、私に代わって部長さんと走りたい、と言うような女の子も意外といるかもしれない。
と、そのとき、ふいに携帯の音が鳴り―――画面を見ると、一夜からの着信だった。 サボるんだったら出なければいいのに、無視をするのも少し忍びなかった。
「………はい。」
『お前、今どこにいるんだよ。もう授業始まるぞ。 すぐにチャイムも鳴っちまう。』
「一夜も遅刻しちゃうんじゃないの?」
『お前がいないから、探してたんだよ。』
昨日の今日だというのに、いつもと変わらず優しい一夜。
くるみちゃんや、あるいは「受け取り方も投げ方も、違っていていい」と言ってくれた部長さんのことを考えると、少しだけ胸が痛んだ。 一夜が優しいのは、今に始まったことじゃないけれど―――そして、その優しさにすっかり甘えてしまっているのも、もう今更だけど。 いつだって、一夜は優しくて率直だから。
『―――アイネ、どこにいる?』
「………。」
少しだけ躊躇った後に、屋上、と小さな声で答えた。
思い出せば、ここは私たちが初めてまともに会った場所でもある。おばさまの家に行く途中、屋上に不時着してしまった私と、それを見た一夜。 本当に、あのときはどうすれば、と思っていたし、その羽根を見られてしまった男の子に幾度となく助けてもらってるとは、思いもよらなかっただろう。
よく、分からない。
分からないけれど―――私は、くるみちゃんに嫉妬しているのだろうか?
一夜が私のそばから離れるのは嫌だと思う。 それはきっと、一夜に対して絶対的な信頼を置いてるからで、その彼がいなくなることを考えると、どうしようもないぐらいに寂しい。 でも、本当にそれだけだろうか? 単に寂しいだけだろうか?
溜息をつきながら、フェンスに手をついて校庭を眺める。
―――控えめな風が制服や髪を少しだけ揺らして、すぐに通り過ぎていった。 |
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―――何故か、ふいに思い出した。 日本に来てすぐの頃、泣いてばかりだった小さな私。 そんな私が泣かなくなったのは、一人の男の子がきっかけだった。
「一夜……」
「帰ろう、アイネ。」
「あ、ま、待って!」
私の腕を掴んで、足早に歩き出す一夜。 後ろで、部長さんが「我輩は何もしていないからな!」と言っているけど、そんなことはお構いなしに、一夜は歩き続ける。でも、私たちは荷物を教室に置きっぱなしだし、服もまだ体操着だ。「待ってってば!」と言うと、我に返ったように慌てて立ち止まった。
「……怒ってるの、一夜。何も、あなたが怒ることなんてないのに。」
「いや―――」
「じゃあ、何? 関係ないじゃない。」
だって、誰が誰を好きになるかなんて、そんなのは自由じゃない、と続ける。
「……部長さんとも少し話をしてたの、さっき練習をしているときにね。 くるみちゃんはきっと、一夜のことが好きで、あなたと一緒にいたいのよ。 分からない?」
「………。」
「私がどうこう言うことじゃないけど。 私には、関係ないことよね。」
自分が怒っているのか、悲しんでいるのか、今の気持ちがよく分からなかった。 ただ、面と向かって"関係ない"なんて言えば、一夜を少なからず傷つけてしまうことが分かっているのに、私はどうしても優しい言葉を選ぶことができなかった。
わざわざ後を追ってきてくれた、一夜に対して。
何て残酷で冷たいんだろう、と思う。 しんと静まり返った廊下、沈黙が重苦しい。
「―――ごめん。」
しばらく沈黙が続いた後、一夜はそれだけ言った。
何か悪いことをして、咎められている子どものような表情で。
―――何故、一夜が謝らないといけないんだろう、と思う。何も彼は悪くないのに。
どうして私は一夜に謝らせているんだろう。
一体、何がどうなってこんなことになったんだろう。
「でも俺……妙な誤解なんて、されたくないから。 別に、あの一年の子と何かあったってわけでもないし……お前なら、信じてくれると思うけど、」
「―――もういいわ。 ごめんなさい、私も変なことばかり言って。」
もう帰りましょう、と一夜を促し、私たちは荷物だけを取りに行くと、朝子おばさまの待つ家に戻った。 戻ってから、私はおばさまに脚の手当てをしてもらった。 |
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