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「彼は私にとって騎士であり、友人であり、大切な―――仲間です」
今度は迷わなかった。私自身もどうしてかはわかりません。でも、きっとこれは何があっても変わらない答えなんだなと、冷静な一面がそう告げている。
だからこそ、私は悩んでいた。彼を信じたくて、でもそうしてあげられなくて悩み苦しんでいたのだから。
「そう…」
蝋の明かりに照らされた彼女の笑み。それが何故か今まで見た中で一番安らかであったように思えた。彼女の笑顔が、何故かいつもと違うように見えた気がしたのです。
アルマさんとタラクが姿を消し、残されたのは一つの燭台と、眠るディーターだけ。
この部屋には先ほどユーリといた部屋とは違って、長椅子も窓も、本も、何もない。ですが、それで構わないと思った。あの窮屈だった時間よりも、今は心が晴れやかであり、何よりも嬉しいのです。今目の前に、彼が居ることが。
「ディーター…貴方に言いたいことは山ほどあります。文句も同じくです…でも……それは貴方が目覚めてからにします。覚悟して置いてくださいね…」
そうです。これはまだ、ほんの一歩と変わらない。危うくもある小さな一歩。けれど、この一歩は次の一歩にきっと繋がる。
今度の一歩は、ビュオの番。ビュオ、待っていてくださいね…。私にとっては、貴方も大切な仲間であり友人なのですから。
静かに瞼を閉じると、私は囁くような声で旋律を奏でた。
眠れ、眠れ
このか弱き者がどうか 安楽を与えるように
この儚き人がどうか 光を享けられるように
この彷徨える魂がどうか 幸福を授けられるように
いつかまた咲く貴方に 今はおやすみなさい
眠れ、眠れ
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彼女にはもう『頼む』しかなかった。私は薄汚い床に跪き、頭を下げた。
メルディアでは、相手に跪くということはその相手に絶対服従、屈服する動作を示していた。
『敗北者には潔い死を。』という戦士国ならではの教えがあるメルディアで、神への祈り以外でその行動は死や愚弄以上の耐え難い屈辱。
私自身も生まれてこの方、相手に礼や謝罪をしたことはあっても、跪いたことはなかった。
生まれてはじめての行為、そして襲い来る屈辱という感情。それに耐えながらも私は両膝を付き、目の前の女性へ懇願した。たった一人の男に、安らかな眠りを与えてほしくて。
小さなため息が聞こえた。
「顔を上げて」
歩み寄る足音。俯いていた私は顔を上げ、彼女を見上げた。彼女は先ほどとは打って変わって優しい笑みを浮かべている。
王女様に頭を下げらては恐れ多くて困るわ。と、苦笑のような笑みを漏らしながら彼女は私を立たせた。丁寧に衣服に付いた埃まで払ってくれて。
すると、彼女は傍らで今まで静観していたタラクを一瞥した。
「……タラク。彼の拘束を解いてあげて」
「しかし…」
顔を顰めるタラク。ですが、アルマさんがもう一度お願いと告げると、彼は無言のままディーターへ歩み寄って行った。解かれた彼は崩れるようにそのまま地面へと落ちていく。直ぐにタラクが支えたために地面へ叩きつけられはしませんでした。それでも彼が目覚めることはありませんでしたが。
そのままタラクに横たわらせられたディーターは、深く瞼を閉じたまま、眠っていた。
見守るように寄り添う私は彼の顔を見つめた。
「ベッドがない上に散らかった部屋だけど…後で、何か掛けるものを持ってくるわ」
踵を返したアルマさんはタラクを後ろに付け、振り向かずに告げた。彼が自由になっているだけでも、彼女には感謝しなくてはならなかった。
「あ、あの…」
「…一つだけ、良いかしら?」
私が感謝の意を伝えようとするのと同時に、アルマさんは質問を投げかけた。
私は告げようとしたその口を閉じ、彼女に視線を向ける。
「貴女にとって、彼は何?騎士の鎧も脱ぎ捨てた彼は、今も貴女にとって騎士なのかしら?貴女を苦しませた彼は騎士と言えるのかしら?」
ディーターの、その動かない手を握りながら私は答えた。
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「それでも、彼の拘束を解くわけにはいかないわ…」
振り返る彼女の顔が、蝋の灯火でゆらゆらと揺らめく。まったく変わる事のない表情は、まるで仮面をつけているかのようにも見えた。
不気味な位に冷たく、重い瞳をアルマさんは私にぶつけてくる。どうして…?
「『信心には恩恵、罪には罰』キスティアで有名な神語よね?…彼が犯した罪があるならば、罰は須く与えられるものなのよ?」
真っ直ぐに彼女の顔を見れなかった。彼女の言葉は私を惑わせているようで、恐くて、その瞳を見れば魔術に掛かってしまうかのように今抱いている決意が揺らいでしまいそうだったから。
彼女の顔を見れない私は、目の前にあるディーターの顔を見つめながら口を開いた。今は眠る彼にも告げるように。
「確かに…彼は私たちを裏切りました。キスティアに付き、ビュオを連れて行ってしまいました……それは罪です。彼は罰を与えられるべきかもしれません」
きつく瞼を閉じ、深く呼吸をする。意を決して振り返った私は、アルマさんと正面から見つめあった。
彼女の吸い込むような冷たい瞳が私を見つめる。でも、怯えてはいけない。彼女に告げなくてはいけない。最後にもう一呼吸をしてから、私は唇を動かした。
「けれど、罰を与えるのは私たちです。あなた方にこのような仕打ちをされる必要はないはずです!」
自分でも、この言葉に矛盾があると思ってしまわずにはいられなかった。
彼がアルマさんたちギルドに迷惑をかけないわけがない。彼が寝返り、何もかもを裏切った事実がある以上、彼は疑われて当然であり、拘束されても仕方がないのかもしれない。
けれど、私は一度決意したこの感情を折りたくはなかった。今掲げた一心が折られたら、きっともうディーターを二度と信じて上げられなくなってしまう。
「お願いします…せめて、私が此処に付き添います…!いえ、ならば私が代わりに拘束されます!ですから…彼を…今は彼を休ませて上げてください……」
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私は閉口した。その続きに浮かべていた言葉の選択肢が、彼女の一言で全て打ち砕かれた気分だった。
彼がまだ裏切っている可能性がある。そんなこと、考えたくもない。思いたくもない。目の前で疲れ果てた彼を信じたい。
けれど、私はアルマさんの言葉を鵜呑みに出来るほど、まだ心は強くない。迷ってしまった。その瞬間、それが彼を疑っているという確証になってしまった。そんな自分自身にも嫌気が指してしまう。どうして彼を純粋に信じてあげられないのかと。
…無理です。だって、彼は私たちを裏切った。大きなその裏切りは、私たちに大きな傷と拭えぬ疑心を植え付けた。
だから、彼を真っ直ぐに信じるなんて―――。
私は彼の頬を優しく撫ぜた。
煤に汚れたその頬は、人の温もりを感じる。
「………信じます…私は、彼を信じています」
不意に過ぎった二つのカード。
棒を持つ使者の逆位置、剣を掲げる矛盾した女性。
その意味するものは人其々であり、信じるか信じないかも人によるもの。
私はそんな類を信じることはしたくない。でも、今はそのカードが示した結果を…今だけは信じたい。
…ディーター…貴方も、迷っているんですよね?
自分がしてしまったこと、そしてこれからするべきことに…。
ならば、まだ彼を救うことが出来る。彼を迷いから助けてあげられる。
彼を解くこと、許されることが出来なくても。私は彼を救ってあげたい。
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「判りました」
すると彼女は私の頬からその指先を放した。アルマさんが下がっていくのと同時に、彼女が隠した光景が、部屋の様子が現れる。
その景色、そして姿を見た直後。私は瞳を大きくさせた。
「――……ディーター! アルマさん……どうして!」
やはりその向こうにいたのは私の知っている人物だった。ただ、驚いてしまったのは、彼が椅子に座ったまま縛られている――拘束されているということ。
何故彼が拘束されなくてはいけないのか…よく考えればそれは理解できることかもしれない。ですがこのときの私にはそこまで考える余裕はなかった。
鎧もなく、心身疲弊しきった顔をしている目の前のディーターは、虚ろな目で僅かに瞬きをする。そして静かに私より顔を背けた。
ボロボロという言葉が当てはまる彼の姿。どうして彼はこのような扱いを受けなくてはならないのですか?彼は私の大切な―――。
「アルマさん…どうして…」
指先が震え出す。汚れた彼の頬にその震えた指先を当てた。彼は何かを言いたげな瞳を浮かべ、静かに唇を動かした。けれど、その言葉は私の耳に届くことはなかった。彼はそのまま頭を項垂れさせ、意識を失ってしまったからだった。
今度は唇が震え、瞼が熱くなった。込み上げて暴走しそうな感情を必死に堪え、私はアルマさんへと振り返る。
いつの間にか閉じられていた扉にはアルマさんと、その傍らにはタラクが立っていた。二人とも、感情を一切伝えない顔色を浮かべて。
「アルマさん…ディーターを放してください…!」
その頼みが通るとは思っていない。案の定、アルマさんは首を左右に振った。彼の拘束が解かれることは暫くない。もしかするとこのまま私が姿を消した後も彼は…。
そう思ってしまうと尚更、私は何かせずにはいられなかった。彼を救ってほしいとまでは願わない。けれど今は彼のこの拘束を解いてほしくて、そればかりが頭の中を巡っていた。
「お願いします!彼は何もしません…ですから…!」
「本当にそうかしら?彼がキスティアの回し者かもしれない…と、しても?」
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「此処に案内するのは…アルマ様の命だ」
通路を歩く私へと囁く言葉。私は思わず彼女の名前を口ずさむ。
彼女とはこのギルド本部に来てから会っていない。忙しい身分なのはわかります。でも、正直に言うと会いに来ないというのは寂しいものを感じました。不安もありました。
此処に来る前日、彼女が撫ぜた頬にそっと手を当てる。温かなあの方の手の温もりは今も忘れられない。とても優しい人。でも、誠実故にときに冷たい視線を見せることも知っている。
そしてそれは、今は亡き私の母親のそれと似ていた。彼女は母親のような厳しさと優しさを兼ね備えている。
そんな彼女が突然呼び出すとは…少しばかりの不安と少しばかりの期待が揺れ動く。
扉の前に立つとそれからタラクは静止したままでした。促すように視線だけが私を見つめている。
この先にアルマさんがいる。一呼吸置き、心を落ちつかせる。
頭に頭巾を被り、顔を隠していたために此処がギルドのどの辺りかは判らない。階段を下ったので地下であることは間違いない。辺りにはタラクが持つ燭台の明かりしかない。
何故アルマさんが此処に待っているのか。気になるところではある。
扉の向こう側からは会話も聞こえてくる。彼女一人ではないみたいです。
もしかしたら…この向こうにビュオかディーターが…?
そんな予感が過ぎる。しかし、今は早くと促すようなタラクの目がある。
そのため私は急ぐように扉の向こうへと語りかけた。
「……アルマ、さん?」
暫くの間を置いてから、その重い扉は静かに開かれる。
中からアルマさんが顔を覗かせた。優しく上がる口角。
「そう、貴女が来たのね……」
久しぶりに見たと思ってしまうほどに懐かしく思う顔。
彼女の顔を見ると、何故か不安が消えていくのを私は感じていた。
不意に中を覗こうと視線を逸らした。けれど、それよりも早く、アルマさんは顔を近づけ、私の頬を撫ぜた。
「…これから、何を見ても…落ち着いていてほしいの……冷静に受け止めて」
落ち着いた声。真っ直ぐに見つめるその瞳をただ、私は見つめ返す。「出来るかしら?」その問いが何を意味しているのか理解出来ないながらも、私は静かに頷いた。
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燭台の灯がゆらゆらと揺れている中、私たちは食事を取っていた。
黙々と進む食事の手。別に食事を待ち望んでいたわけでも、美味しい料理が出てきたわけでもありません。
ただ、食事が出されるこの時間だけが唯一、気が落ち着くのです。時を忘れられる。
ふと見上げた暗幕の向こうからは、太陽に変わり月明かりが差し込んでいた。
食事が済んだところで、私はユーリの分と食器を重ね、それを取りに来るだろうタラクが来るのを待った。
二回のノックのあとに一拍置いてからもう二回。
それから扉が開き、姿を見せるタラク。彼が食事を運ぶ時期には通路の人通りもなくなる。その頃合を見計らって私は洗面所へと向かう予定を立てていた。
ですが、今回のタラクはこれまでと違っていた。私にはリタのような精霊やらなにやらで異変を悟る能力はありません。
けれどそんな私でも彼のいつもと違う雰囲気は悟りました。おそらくそれは、女の勘というものです。
「付いて来て貰いたい」
淡々とした口調で彼は告げた。どういうことかと顔を見合わせる私とユーリ。タラクはいつも、必要以上のことを喋ろうとはしないし、尋ねても答えてくれなかった。
顔を顰める私とユーリ。ですが、彼らが私たちに危害を加えることはしないはず。
「どちらか一人で構わないが」
「では、私が参りますわ」
その言葉と同時に私は席を立ち、胸を張った。久しぶりにこの部屋の外から何処かへ出れるのであれば、それがどんな場所でも良かった。そういった気持ちもあった。
どちらか一人を残して行く、というのは一人を人質に取るためかと私は思った。ユーリが一人部屋に残っている。そうすることによって私は可笑しな行動を取ることが出来ない。きっとそうなのでしょう。私は彼らに抵抗するつもりはありません。でも、それで彼らが安心できるのであれば、私は何でもするつもりでした。
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「そろそろ見るのは止めたらどうだ、お姫様」
本に視線を送るままのユーリが感情の篭っていない声でそう告げる。
私は僅かに頬を膨らまし、眉を顰めつつも暗幕を元通りに掛けた。室内には暗がりが広がる。
頼りになる明かりはテーブル上の燭台に燃える蝋燭のみ。
本来は、窓から景色を見ることは禁じられている。この部屋に案内されたとき、タラクという殿方が言っていた。気配を悟られては困るから。と。
それ故に、この窓を開け放つことも、暗幕を捲ることも禁止させられている。あの殿方には内緒で時折暗幕から覗き込むように窓の外を眺めていますが、それもほんの一瞬と限られている。
長椅子へと戻ると、私はユーリが目の前に居ることも躊躇わずその場で横になった。
完全な密室。完全な軟禁。完全な退屈。なんと言えば良いのか例えようのない窮屈さ。
こんなに窮屈な思いをしたのは、幼少の頃にお兄様とケンカして閉じこもったとき以来です。
せめて窓が開けられるのであれば、ここから手を伸ばして、身体を預けて飛び出してしまいたくなる。
そして、出来るならば彼らに会いたい。今、彼らはどうしているのでしょう―――。
このことを思い出してしまうと、次々と浮かんでしまう彼らの姿と不安な気持ち。
ビュオ、ディーター…。
私は彼らを信じる、そしてまたあの日々が帰ってくることを願っている。そう決めました。
でも、その反面でやはり迷う気持ちは時折踊りだす。私の意志とは関係なく。それを隠そうと握った拳は既に何十回となる。
それでもどうしても苦しくなったら、歌を歌った。歌は気を安らかにさせる。あの方と出会ったあの日もそうでした。迷いや不安、悲しみや苦しみを癒し、流してくれる。
歌は人の願いを乗せてくれる。今の私にはそう思えた。歌えば私の願いは届くはず。
歌よ、歌よ
この淡い願いがどうか かの人へ届くように
この仄かな想いがどうか あの者へ伝わるように
この小さき夢がどうか その魂に刻まれるように
散りゆく運命の君に 叶えるための歌を
歌よ、歌よ
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日が傾き始め、落日が近づいていく。
暗幕の隙間から外の光景を窺うと、相変わらず殺風景ともいうべき街並みがあるだけ。
いえ、そう感じてしまうのはこの窓から見るこの光景に見飽きてしまったからなのかもしれません。
始めてこの町、アークレイに来たときは、行き交う人の多さや並ぶ品々、建築物に至る何から何まで…好奇心の対象だった。
一人で通りを歩いたときには人波に気分を害してさえしまい、何故こんなにこの場所には人が集まるかと憂鬱にさえ思ってしまった。
けれど、今はあのときの感想や光景が懐かしく思えてしまう。あの光景や景色からしたら、今この窓から見える景色など、飽き飽きするのも無理はない。
「あれからどれくらい経ったのでしょう…」
思わず唇がその科白を囁く。するとその背後で長いすに腰をかけていたユーリが答えた。
「さあな…」
この部屋に並ぶ本を手に取り読んでいるユーリ。ですが、真剣に読んでいるというわけではなく、あくまでも暇つぶしに目を通しているだけの様子。その証拠に頁を捲る手が早い。彼が速読者とは思いにくいのですが…。
ユーリの言葉を耳にし、私はため息を一つ零す。吐き出された息は窓の一箇所を曇らせた。
あれから既に時は一日二日と経過している。
始めは一刻経つ事に記憶をしていましたが、外の景色と同じように何も無いこの部屋で、窮屈で退屈な時間を過ごすうちにそう言った時の経過を考えないようにしました。
でないと、私は時を気にする度に時を長く感じ、気が狂うまでの苛立ちを覚えてしまう自信があったから。
それにこの部屋の窓にかけられた暗幕は部屋に日の光が入らないようにしてしまっている。隙間から漏れる光があるとはいえ、部屋を照らすには満たない明かり。
日光もろくに入らないこの室内で、外界から時を報せる方法はどこからか漏れ聞こえてくる鐘の音のみ。
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思えば長いようで短い旅路だった。
里での生活から今まで。順を追って、僕の人生に触れた皆の顔が、浮かんでは消えていく。ウフィアナの丘の上で寝転ぶルツガノは、片方の口の端を上げて笑っている。「また来るよ」と言って格子に鍵をかけるトーイは、目を細めて頷き、アイゼは照れくさそうに彼女の故郷の歌を唄っていた。
最後の一刀は悪くなかった――剣の手入れをしながらディーターは言う。キャスが胸元の首飾りを弄りながら、頬を赤らめてあの人を語っている。お前馬鹿言うんじゃないよと顔を顰めたユーリが、今度はしたり顔で鞄に手をやる。カロッサ卿が、ワービッツが、そしてナヴァが。
僕を呼ぶ。
「ビュオ」
はっとした。
記憶の中の声に混じって、現実で僕を呼ぶ声がした気がしたのだ。
遠のきかけていた意識が繋ぎ止められ、頭の中にぴたりと嵌るような感覚。
もう一度名前を呼ばれ、反射的にそちらを向く。
そう、僕を呼んだのは、鎖で吊るされたまま絶命した、あの彼だった。
「あなたは……」
「この者の身体には、もはや生命はない」
驚きに言葉を失う僕を見つめた彼は、大きく息を吐く。
「間借りしてるのさ、一時的に」
「まがり?」
彼は眉をひそめた僕にゆっくりと頷き、瞳を閉じた。そして頭を垂れ、深い瞑想に入ったかと思うと、クドゥアの言葉が口からこぼれ始める。グドゥアの――呪術。
一息を使い切る長い呪詛が空気を撫でる。その響きは、ざらりとした感触を耳の辺りに残し、背筋に冷たいものを走らせた。
それが途切れたとき、彼の口から、ぼんやりと薄い紫色の光りの珠が幾つも漂い始めた。それは彼の眼前で群れを成すように蟠るとやがて二つに分かれ、両の手をつなぐ鎖に留まった瞬間、蝶になった。
紫の蝶。あれは、確か――物を腐らせる。
昔読んだ古書へ記憶が結びついたのと、見る間に朽ちた鎖が重々しい音と共に地に落ちたのは、ほぼ同時。
蝶の群れは、いつの間にか四散していた。
「まだ名乗っていなかったな」
骸の身体を借りていても感覚というものがあるのか、手首を擦りながら男が僕の前に立つ。
その全身――拷問によって至るところが血と裂傷に汚れた身体に浮かび上がる、うねる炎のような痣!
突き抜けた直感が、大きな鼓動となって胸を打つ。
「……僕と同じ……あなたは――ツォムナ」
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